子供の四季  一月

子供の四季  一月
  女の子の遊び
 一年間、子供の四季を書き続けて、ふと気が付いた。女の子はどんな遊びをしていたのだろうか。当時は未だ自分のことに夢中で、女の子なんか眼中になかったのだろう。少しも覚えていない。妹が、冬は着せ替え人形遊び、春、雪が消えると陽だまりに筵(むしろ)を敷いて、ままごと遊びをしていたのを覚えているが、それ以外のとき女の子たちは何をして遊んでいたのだろうか。着せ替え人形とは、少し厚手の紙に女の子や人形などの絵が正面と後ろ姿で白紙に印刷してあって、片側でヒンジ(蝶つがい)で繋いであった。これにクレヨンや色鉛筆で色を塗った後、切り抜き、ヒンジ部分を折りたためば前と後ろ姿が一体化した女の子が出来上がる。着物やワンピースなどもちょうどこの女の子の大きさに合わせて印刷されていた。こちらにも色を塗った後、切り抜き女の子にかぶせ、セリフなどを言いながら、気分によって次々着せかえていた。私もぬりえを手伝ったことがある。
 最近、同級生のAさんたちとの会話でわかったのであるが、子守りも彼女たちの生活の重要な部分を占めていたらしい。当時はどこの家も兄弟が多かった。母親は農作業、その他で忙しく子供の世話をするゆとりはなかった。そこで、女の子たちは幼い妹や弟の面倒を見た。時には隣近所の子供の世話もしたとか。おしめを替えたり、幼い乳飲み子も授乳の時間がくれば、母親の働いている畑や田圃にまでおぶって行った。このような過程を通して彼女たちは将来母親になった時の赤ちゃんや幼子の育児の仕方を無意識のうちに学んでいったのであろう。時々、新聞、TVなどで若い母親の育児ノイローゼの話題が出る。親と同居しない核家族化が原因であろうが、今の若い女性は少子化等の理由で子守りの体験をせず、いきなりよくその習性のわからない赤ちゃんが授かることも原因でなかろうか。実家には、未だ小学23年生ころの妹が年齢のいくらも違わない弟をおぶっている写真が残っている。