2018年4月 第二ボタン

20184月 第二ボタン
 
 去る3月初旬のある晩,埼玉に住む中3の孫から電話がかかってきた.「じいちゃん,今度の木曜日空いている?僕の卒業式なんだけど,お父さんが仕事で忙しいので代わりに出席してもらえないかな」こちらは暇だから,即座に「ああ,いいよ」と返事をした.
式当日,何十年ぶりかで孫の母親と卒業式に出席した.私も自分の息子や娘の入学式,卒業式には出席したことがなかった.妻も働いていたから,よく私の両親に出席してもらった.当時は仕事に忙しく,子供たちの入学式や卒業式に休暇を取って出席するなどという雰囲気は勤務先にはなかった.
君が代”斉唱の後,式は厳粛に始まった.生徒たちの私語もほとんどなく二時間強の式は無事終了した.昔,唄われた“仰げば尊し”や“蛍の光”が唄われるうたわれることなく,代わりに“翼をください”とも一つ,曲名を忘れてしまったが,懐かしい感じのする合唱曲が唄われた.良い曲だと思った. 
ただし,式中以下の3点が非常に気になった.私にとってはいずれもなくもがなに思われた.まず,式辞を述べた人の中に市会議員が入っていたこと.息子がこの中学を卒業したとか,女性だった.次に来賓の数が多すぎたこと.司会者が一人づつ,それぞれの肩書,氏名の紹介をすると次々椅子から立ち上がって「おめでとうございます」と言った.気になったので来賓退場時に数えたら,なんと25名だった.3番目は祝電の紹介の数が多すぎたこと.10名分の長文の,似たような内容の祝電が次々読み上げられ,そのあと多くの氏名のみが読み上げられた.さすがに電文は読み上げられなかったが,国会議員,県会議員の名前もあった.私の出席した多くの結婚式や告別式などの経験では,数名の電文が読み上げられ,あとは氏名のみ,あるいは単に人数のみが紹介されていたように思う.上記の一連のことは行政側からの依頼か,あるいは学校側の忖度か,いずれにしても私には異様に思われた.昔もこのようなことは行われていたのだろうか,残念ながら,子供の私には全く記憶にない.昨今の文科省教育委員会,学校との関係で起こっている様々な出来事と関連があるような気がしてならない.あとで問題が起こらないようにと意識し,事なかれ主義がはびこっていないか.
さて,表題の「第二ボタン」のことである.卒業式前夜,彼の家に行った.息子も帰宅し,夕飯時話がはずんだ.そこで,第二ボタンの話になった.私は知らなったが,卒業式の後,同級生や後輩の女子生徒が好きな男子生徒の詰め入り服の上から二番目のボタンを下さいとお願いする習慣があるのだそうな.
「Tには下さいという女の子がいるかな」と父親が息子に言った.少しアルコールの入っていた私は「自分でボタンをもぎ取ってきてはダメだぞ」とからかった.「俺なんか,上着のボタンを全部持っていかれ,ばあちゃんに大目玉を食った」と息子が悪乗りした.帰宅してから妻に確かめたら,「そんなことなかったわよ」と妻は言った.もう,35年も前のことだからどちらが正しいか確かめようもない.卒業式から帰宅した孫の上着を見たら第二ボタンがなかった.「誰にあげたの」との母親の厳しい追及に「Tさん」と孫はうれしそうな顔ではにかんで答えた.良かった,良かった.