2021年3月 雪の恐ろしさ その2

子供の頃の小学校と中学校はグランドを挟み隣り合っていた。冬になるとそのグランドが雪原になった。天候も安定した2月中旬になると中学校では雪の芸術祭と称し、クラス対抗で有り余るほどの雪を使って雪原にお城や種々の造形を造り、出来栄えを競った。未だ、小学生の頃のある年、先輩たちがそんな雪像を作るのを見物していた。あるクラスが巨大なマンモスを作っていた。一人の男子生徒が4本脚で立っている像の腹の下にもぐって形を整えるべくシャベルで細工していると突然像が潰れ、その生徒は像の下敷きになり埋もれてしまった。大慌てで周りにいた先生や生徒たちが雪を掘りだした。数分後、雪に埋もれた男子生徒が無事助け出されたが、その先輩の青白い顔を今でも覚えている。近所の魚屋さんのSさんという3-4歳上の先輩だった。その後この行事は中止になったようで、我々が中学生の頃はもうなかった。高校進学者数も多くなり受験勉強の補習等のため、そのような行事にさく時間的余裕もなくなったためかもしれない。

 中学生の頃、3月のある晴れた日の午後、兄妹で雪消しをしていた。家の周りの、屋根の雪下ろしで山のようになった雪を削り、家の中に日光が入るように雪を除去する作業である。このような雪にかかわる作業を郷里の言葉で“雪消し”とか“雪ごったく”と言った。

突然、まだ40-50センチメートルも残っていた屋根の雪が雪崩のように崩れ落ちて妹に降りかかった。あわや下敷きかと思われた時、落下する雪の勢いで妹と雪が一緒にガラス窓を突き破って廊下に雪崩れ込んだ。幸い妹は怪我することもなく無事だった。未だ小学生だった彼女にその記憶があるかどうか確かめたことはない。

末弟は雪氷学が専門で長く新庄市の雪氷防災研究センターや長岡市の雪害実験研究所に勤めていた。その弟から聞いた話である。定年間近かの頃、彼は後者の所長だった。時の文部科学大臣田中真紀子氏の研究所見学があった。ちなみに田中大臣は選挙区が新潟県第3区で長岡市もその範疇である。そのころは何年間か暖冬が続き、雪害研究関連の組織の縮小化、予算削減が話題に登っていたという。そんな中での所轄大臣の訪問だった。弟は張り切って所内を案内し、研究装置や訪問者用の展示物を次々紹介したのだろう。多分、弟が会心作と思っていた、雪崩の実験装置を作動させたときのことである。数メートルの高さから、雪を模擬した直径数センチメートルの大量のピンポン玉を急斜面に沿って落下させ、木々や家屋の模型が次々なぎ倒されていく様子を示し、雪崩の被害の恐ろしさを再現した。これを見た大臣は立腹、「こんなパチンコ遊びのようなことに貴重な税金を使って!」ときついお叱りを受けたそうな。幸か不幸か、その年の冬は大雪で、組織の縮小や研究予算のカットはなかったとのことである。