2024年4月 びっくりした体験

 

「記憶」の続きは後回しにして、今回は最近体験したことを述べよう。神奈川大学が実施している社会人向け講座の内、私はここ5年間ほど本学名誉教授の復本一郎先生が講師をされている俳句講座“基礎から中級へ”を受講している。毎年、年度末に受講生たちがその年作った句をまとめ「赤れんが」と題する俳句集を作成してきた。コロナ禍のため3年間ほど発行が途絶えたが、昨年復活、今回は私が編集担当、印刷所との交渉などもやり去る3月末、無事No.4が発行でき、受講生皆さんの手に渡った。今は作製費を安価に上げるために依頼元で完全原稿を作成し、インターネットで添付ファイルを送信、紙質を指定すれば印刷所はあと印刷するだけである。校正といってもこちらが送った原稿を再度チェックするだけである。数日後、宅配便で完成した冊子が送られてきた。段ボール箱を開け、一冊手に取ったがどこか様子が変なので、よく見たら左綴じなのである。句集は縦書きで一人8句、もしくは18句が右から左に流れるように配列されている。それが左綴じ、句の流れがつながらない。早速、電話で抗議し、やり直してもらい数日後にようやく納得できる冊子が納入された。腹立たしいことに、この間に印刷所からメールによるアンケートが送られてきた。「今回は当社をご利用いただきありがとうございました。納品された製品にご満足いただけましたでしょうか。以下のアンケートに〇をつけお答えください。1.満足、2普通、云々・・・」。不良納品でもめている最中に、このメールである。腹が立って、また電話した。要するにこちらの抗議を受けた担当者とメールを発信した担当者の間に会話がなく、お互い、没交渉に自分の最低限の義務の仕事をしているだけなのである。俳句集は縦書き、右綴じが常識と思いこんでいるのは私だけ、この印刷会社では多分、横書き、左綴じの書籍が圧倒的に多いのであろう。我々の俳句集の表紙のタイトル等は確かに横書きである。そのため中身をよく見ないで印刷し、形式的に製本したのであろう。せめて、出荷時に一冊手に取り印刷具合等を確かめていれば気づいたはずである。作業工程が分業化、自動化し、全体を見渡す担当がいないのかもしれない。

 話は変わる。今から40年ほど前、私も社員だった東芝からワードプロセッサー “ルポ” が発売されたとき、字のへたくそな私は大いに喜んだ。当初は500万円くらいだった。研究所の事務室に1台据えられた。早く安くならないかなと首を長くして待っていた。40万円くらいになったとき、思い切って購入した。その頃は未だ画面も小さく、横書きで数行程度しか書けなかった。徐々に画面も大きくなり、使い勝手も良くなった。いつの間にか、ワードプロセッサーは市場から撤退、パソコンになった。私は日本語の文章作成もこのエッセイのように横書きが普通になり、はがき、手紙も横書きである。俳句の作句なども下書き等は横書きが多い。縦書きの文章を書くのが苦痛になった。縦書きでは頭がうまく回らないのである。コンピューターは頭の思考過程も横書きに変えてしまった。縦書きが要求される場合は横書きの文章を書いてから縦書きに変換している。ただし、小説は縦書きの方が読みやすい。新聞も縦書きである。新聞では一部縦書きの記事がみられるが、縦書きの方が読みやすい。新聞はいずれ横書きになるのだろうか。中国語の新聞は横書きである。高校時代、漢文の授業があった。返り点等を付け、漢文を下し読みの日本語の文章にして習った。今、現代中国語を習うのはどうしているのであろうか。やはり昔のように下し読みなのか、それともいきなり中国語の発音で習うのだろうか。横書きの中国語文章に返り点を付けるとしたらどのようにしているのであろうか。疑問は尽きない。調べればわかることなのだが、無精して今のところそのままである。