2026年10月 フィッシング詐欺

 とうとう、フィッシング詐欺にあって5万円をとられてしまった。フィッシング詐欺とは実在する信頼できる組織(金融機関、宅配業者、クラウドサービス、官公庁など)になりすまし、ユーザからID、パスワード、クレジットカード情報などの重要な個人情報を詐取する、インターネット詐欺である。

 数日前、ANAから“ANAマイレージクラブ会員情報の訂正と確認”と題して、メールが来た。内容は「未加算マイル 29,318マイルがある。現在登録されている会員情報と予約時にいただいた情報に相違があるため、上記マイルが自動で入帳されていない。ついては下記URLにアクセスし、情報の修正・確認の手続きを打っていたただいたうえで、手動でマイル数加算をお願いいたします」というもっともらしい内容だった。早速、そのURLにアクセスし、指示に従いANAカードNo、VISAカードNo.等を打ち込んでいった。そうこうしていると据え置き電話の方にVISAカード運営会社から、電話が掛かってきた。「あなたは・・・から(聞き覚えのない店名)から5万円の買い物をされましたか。今、5万円が引き落とされました」という内容であった。買い物はしていないというと「それはフィッシング詐欺ですね。すぐ、今使用中のカードは挟みで裁断、破棄してください。後ほど新しいカードをお送りします。当方にも落ち度がありますので5万円はお支払いします。請求用の書類をお送りしますので、それに必要事項を記入の上ご返送下さい」とのことであった。その2-3日後、新しいカードが書留で送られてきた。また、5万円請求用の書類も送られてきた。 

一方、詐欺メールの翌日、カード会社からメールで「あなたの次回引き落とし日は10月26日、金額は41,826円です」と知らせがあった。さらにその翌日には同じくカード会社から「あなたの次回引き落とし日は10月26日、金額は76,856円です」とメールが来、金額が増加していた。そんな金額の買い物はしていないし、これに応答するとまたやられると思い放置し、新カードに記されていた電話番号に電話すると引き落とし日が別の日で引き落とし額も千円台の例月の金額と同じであった。前2回のメールもやはりなりすましカード会社のフィッシングメールと思われ、応答しなくてよかった。

 2.3日前には国税庁から還付金云々のメールが来た。これもクレジットカード番号等を聞き出すフィッシングメールであろう。無視し削除した。昨今は全く油断できない恐ろしい社会になってきた。

2026年9月 チッキと宅配便

 今から70年も前の学生時代、宅配便も無かったころよくチッキを利用した。

日本国有鉄道(国鉄、JRの前身))が行っていた貨物輸送のことで、目的地に近い鉄道の駅まで切符を買えば目的地の住所まで手荷物を運んでくれた。寮や下宿に住んでいたが、そこまで布団なども運んでくれた。本人より、荷物の方が1-2日遅く付いたようだ。大学に入学した当初は寮に住んだ。4月からの入学にそなえ、3月末寮に入ったが、布団がなかなか届かない。その数日間、未だ寮に戻ってこない先輩の布団を借りた。「お前のおふくろさん、のんびりしているな」と先輩にからかわれた。夏休み帰省する際には、9月に行われる定期試験に供え、夏休み中に勉強しようとリンゴ箱に教科書や参考書を沢山詰め込んで家に送った。しかし、ほとんど本は開かれることなく、そのまま、またチッキで寮に逆戻りした。荷物を送りだすときは、未だその頃は存在した魚沼線の片貝駅に自転車に荷物を載せ運んだ。駅員が運賃を計算し始めたが時間がかかった。じれったくなり、「○○円ではないですか」といったら、駅員に「どうしてわかったんですか」と驚かれた。列車時刻表で目的地までの距離数が解れば、運賃もおのずから解る。こちらはあらかじめ計算し、その料金を用意しておいたのである。チッキを利用しない場合の荷物の輸送は今と同じく郵送あとは日本通運の運送だった。

 いつ頃から宅配便にとってかわられたのだろか。輸送時間の短いことに驚かされる。ほとんどの地域が翌日配達である。しかも配達時間指定で。そのため配送に係る人たちに大きな負担がかかっていないか。配達する人たちはいつもを走っているように見える。現役の頃、研究室配属の学生のひとりに、若いのに腰痛持ちがいた。宅配便の会社のアルバイトで、荷物の仕分けを熱心にやりすぎ、腰を痛めたのだとか。留守をして荷物を受け取れず、再配達用の連絡カードが郵便受けに入っていることがある。冷凍物だったため、数日の留守中に2回も再配達されたことがあり申し訳なかった思いがある。数年前、我がマンション玄関の入口には数個の箱からなる置きはいボックスが設置された。留守の場合、配達員はこの箱に荷物を入れ、該当者の郵便受けにその旨を知らせるメモをボックスをあけるための暗号No.と共に残しておくのである。帰宅後、記された暗号ナンバーにダイヤるを回して扉を開け、荷物を入手する。これにより、冷凍物などを除き、よほど再配達の負担が軽減されたのではないか。

 驚いたことがある。我がマンションには中国からの居住者が6世帯ほどだが、その中の誰かがこの置きはいボックスを利用して、別のマンションの誰か(多分同郷人)とボックスの暗号を共有し、互いに荷物のやり取りの交換場所として利用していたのである。荷物を置いた覚えもないのに宅配ボックスがふさがっているとの宅配業者からの訴えによりわかったのである。理事会で犯人を特定し、以後このような使用法はやめてもらうよう指導した。それにしても彼らの頭の良さ、生活力の逞しさには感心する。近くにある横浜橋商店街は下町情緒あふれるなどとPRしているが、店のオーナーがどんどん中国人に変わってきている。地価が値上がりし、日本人には手が出ないのだそうな。

2026年8月 Made in Germany

  今の若い人達には想像もつかないかもしれないが、昔(戦前から戦後にかけて)日本の男性たちのあいだには、ドイツ製の精密機械工業製品に対して信頼性と限りないあこがれがあった。例えは適切でないかもしれないが、今、外国の若者が我が国のマンガやアニメに対する思いと似ているかもしれない。カメラ、双眼鏡、顕微鏡、万年筆等々、非常に高価であったが、いつか自分も手にしてみたいと思ったものである。ベンツ、BMW等の自動車に対する思いは今も続いているかもしれない。戦前、ライカ(カメラ)1台あれば家一軒が立つと言われていた。私も50年ほど前、思い切ってライカを購入した。確か、60万円ほどだった。それで採った写真は柔らかい色調で、日本製のカメラで撮った写真とは一味違っていた。特にモノクロ写真で威力を発揮した。しかし、使い込まないうちにデジタルカメラが発達し、白黒フィルムもカラーフィルムも入手できなくなった。このカメラは、写真に興味を持った孫娘に少し惜しかったが渡してしまった。

 現役の頃、勤務していた電池メーカーはドイツのVarta社と技術提携をしていた。当時同社は世界一流の電池メーカーで研究所には何人もDr.がいた。ある年、Vartaの研究所のあるベルリンに技術打ち合わせに出張したことがある。打ち合わせも終わって所長との雑談で趣味の話になった。私の趣味の一つは写真で旅行に便利な小型カメラを持参していた。ドイツのアグファ社製で、性能に優れ写しやすいと誉めたころ、彼はすかさず戸棚から一眼レフカメラを持ち出してきた。ミノルタ製である。彼の趣味は野鳥観察でこれに望遠レンズを取り付け燕の子育ての様子を撮影したとか。そして、made in Japan のカメラはすばらしいと言っていた。この時の出張はいくつかの楽しい思い出がある。いろいろ歓迎を受け、ベルリンから数10kmもはなれた田舎の高級レストランでビールやワイン、おいしいドイツ料理の歓待を受けた。シェフは太った女性だった。有名なロマンチック街道も案内してもらった。未だベルリンの壁が存在し、東西間の緊張続いていたころでNATO軍の戦車が町中の道路を走っていた。ドイツの誇るアウトバーンをベンツであちこち走ったが、時速100マイル(約161 km)でも車は微動だにせずピタッと道路に吸い付いたように走った。

   話は変わるが、私は2本のモンブラン(万年筆)を持っている。一本は企業から大学に転職した時、父が、もう一本は神奈川大学で助教授から教授に昇進した時、義弟が贈ってくれたものである。偶然、同じ型番でもう40年近く使っている。インクももちろんモンブラン製、最近無くなったので補充用のインクを購入しようとしたが、市内の文房具店では取り扱っていなかった。ようやく、高島屋デパート内にモンブラン支店があることを突き止め、注文した。1週間ほどして届いたのはいいが、その高価なのに驚いた。60 ccのガラス製インク瓶に入ったブルーブラックインクが何と4,950円、約5千円で超高級ウイスキー並みだった。涙を呑んで購入した。

2026年7月11日 忘れ物、落とし物

 毎朝ラジオ体操を行っている公園にはごみもさることながら、いろんなものが落ちていたり、ベンチに忘れられている。それらの中には未だ、使えるものも多い。ビニール傘、折りたたみみ傘、サッカーボール、野球ボール、バドミントンのシャトルコック、ジャンパー、野球帽、セーター、ゲーム機、スニーカー等々。物不足の時代に育った私には考えられない。草野球で草むらに飛び込んだ野球ボールをどんなに一所懸命さがしたことか、その見つかったときの嬉しかったことを思い出す。朝の公園のグランドにはそんな硬球ボールやサッカーボールが転がっているのである。前日遊んだ帰り際に子供たちはよく確かめもせず、放置したまま帰るのである。

モノ余りの昨今、子供も大人もモノに執着しなくなったのか。夕方、家に帰った子供に親は訊ねないのだろうか。もっとも共働きの多い昨今、親子が接触、会話する時間もないのだろうか。よくしたもので未だ使えそうなものはベンチやグランドにそのままにしておくといつの間にかなくなっていることが多い。本人が気づくのか、別の誰かが持っていくのか。女性用の未だ新しい折りたたみ傘もそうだった。雨に濡れぐしゃぐしゃになっていたのを開いた後きれいにたたんでベンチに置いておいたら2日後に無くなっていた。持ち去ったのは本人か、別の誰かか。とにかく捨てられなくてよかった。

 

026年6月 厚木の家

 大気汚染がすごかった川崎に住んでいたころ、まだ小さかった長男は風邪をひくとなかなか咳が止まらなかった。医師にこのままでは喘息になると言われ、勤務地から遠くなるが、思い切って空気がきれいと思われた厚木に土地を求め家を建てた。その家が今年で築50年になる。おかげで息子も娘も健康に育った。家の造作は遠い親戚にあたる郷里で建築業を営んでいた小、中学校の後輩のAさんに設計ともどもお願いした。設計図を見ながら、私もいろいろ注文した。限られた予算の中でAさんはさぞ苦心されたことであろう。大工さんも地元からやって来、建築予定の敷地内に小さな小屋を建てて寝泊まり、半年ほどかけて家が完成した。我々も時々、ここを訪れ、家が出来上がっていく様子を眺め完成を楽しみに待った。建て前の時には、郷里から両親もやって来、餅撒きなどもした。父がお祝いにと庭師をいれ、庭を作ってくれた。縁側近くに息子が池を作ると穴を掘ったが、これでは柱が湿気で腐ってしまうと大工さんいわれ、一ヵ月近くかかって掘った穴を埋め戻しさせた。代わりに建屋から離れたところに池も作った。家は寄棟の2階建て、雪国風の造りで柱は太く、屋根瓦も石川県の産地から求めた。大工さんが家はともかく瓦は城と同じく300年は持ちますねと笑っていた。おかげで2011年の東北大地震を初め、いくつかの地震に遭遇したがびくともしない。我が家の周りに同じころ次々と家が建ったが、ほとんどの家は壊され立て替えられている。ただ、2年ほど前の厚木地方を襲った地震で屋根瓦落ちたが、この時は近所の家々では冷蔵庫が移動し、書棚、食器棚等が倒れたとか。しかし、思い入れのあるこの家に住んだのは10数年、子供たちも大きくなり家を離れたころ、通勤先まであまりにも時間がかかり、朝家を出る時も倦怠感が抜けず困ったので、今の横浜にマンションを求めた。引っ越しは忘れもしない神戸淡路大地震の翌日だった。32年前のことである。厚木の家にはほとんど毎週のように土、日にかけて訪れた。庭の草取り、樹木、花卉の手入れのために。横浜と厚木間は約37km、朝早く車の少ない時で45分位、通常は1時間半はかかった。しかし、老齢化のため、昨年86歳の誕生日に思い切って車の運転免許証を変換した。この30年の間に何百回往復したことか。車運転を止めてからは相鉄線、小田急線、バスを利用して通っている。2時間から2時間半かかるので、つい行くのが億劫になり、この1年は月に1-2回になった。いつまで続くことやら。先週は梅を収穫し、徒長子を切ってきた。採れた梅は3 kgほど、氷砂糖と一緒にガラス容器に入れ梅ジュースを作製中で

ある。

2026年5月 バラ園

 さる連休の最終日、何年ぶりかで妻と港の見える丘公園のバラ園に行った。

数年前の前回は山下公園入口バス停でおりてから、急な石の階段を休み休み上って入った。残念ながら、もう妻にはそれは無理、今回は地下鉄で桜木町まで行き、そこから“赤いくつ”バスに乗り、港の見える丘公園まで行った。このバスには敬老パスは効かなくて、240円を支払う必要がある。その代わり、ハンマーヘッド、赤れんが倉庫、横浜中華街、元町等市内の観光名所を巡って目的地まで連れて行ってくれる。そのため、各停留所で観光客の乗り降りが頻繁でバスは混みあっていた。バラ園はちょうどバラが満開、散りかけたもの、これから咲こうとする蕾等で見事だった。多くの人々でにぎわっていた。ここはプロの園芸師が手入れをしているため、どのバラの樹も肌色がよく力強い。気に入った色のは花をカメラに収めてきた。帰りは同じバスに乗り桜木町へ、駅前の居酒屋により、ビールを飲んでから帰宅した。話は前後するが、バス乗り場へ行く途中の駅前広場で、妻が名古屋鉄道の定期券(電子カード)を拾った。3月から9月までのもので額面も10数万円と記載されていた。落とし主は大損害である。交番が近くになかったので翌朝、伊勢崎警察署に届けた。

バラの栽培は難しい。虫が付きやすく、病気になりやすい。肥料もたくさん必要で適切な時期に与えないと樹が成長しない。また、適切でないと花付も悪く、色もさえない。厚木の家にも5本のバラがあるが、玄関わきにある2本の蔓バラ以外期待したように沢山の蕾が付かない。根本から沢山のシュート(新芽)が出ることが望ましいのであるが、我が家のはこれがほとんどなく、主木一本のみでこれが老齢化し、ひょろ長く伸びるのみで、これでは花付が悪いわけだ。若樹のころ剪定を誤り主木のみ伸ばし過ぎたのが原因である。1年前これの気づき、思い切って幹の剪定を始めたが、樹形整い、沢山花を付けるようになるまで2-3年要するだろう。私自身の寿命との競争である。

近くに住む娘の家の庭のバラは見事である。先日,訊ねたおり見てきたが、

白、ピンク、薄紫色の蔓バラや立ち木のバラがとりどり咲いていた。

2026年4月 相性

 永年使用している血圧計は単4型乾電池4個で作動する。先日、起動させようとしたら途中で数字が消え動かなくなった。電池を新品と取り替えようとしたがあいにく買い置きのアルカリ乾電池は2個しかなかったが、他に韓国製の単4型乾電池が2個あった。孫娘が卒業旅行で韓国に行った際、むこうで買った残りをくれたのである。

   電池を複数使うときは同じメーカーの新品を同時に入れ替えるのが望ましく、同じメーカーでも例えば4個の中、1個だけ未だ使える使用途中の物を組み込むと一応機器は作動するが危険である。その1個だけ早く容量がなくなるため、他の3個の電池のために強制的に過放電させられ、電池内の電解液の電気分解が始まり、ガス発生により漏液の原因となるからである。

   電池には種類ごとに国際規格規格でサイズ、電圧等が決められており、これに準拠したものなら互換性があって一応使用できることになっている。

前置きが長くなったが、背に腹は代えられない、話を戻し、日本製2個、韓国製2個、4個の電池をケースに詰めスイッチを入れた。血圧計は動き始めたが、途中で止まってしまい、血圧の値を示さない。韓国製電池がアルカリ乾電池か、マンガン電池か確かめようとしたがハングル文字のために読めない。携帯電話で写真を撮り、直ちにAIで翻訳して確かめればよかったのであるが、その時はそこまで気が回らなかった。仕方がないので、改めて電池4個を購入して血圧計にセットしスイッチを入れたら、いつものように動き出した。血圧計は壊れていなかったので一安心した。

   アルカリ乾電池とマンガン乾電池はともに1.5V、これは反応物質が亜鉛と二酸化マンガンで共通であるからである。ただし、電解液が異なり、前者は濃厚苛性カリ溶液、後者は塩化亜鉛溶液である。アルカリ乾電池の方が大電流放電機器向きで放電容量も大きいが値段が高い。マンガン乾電池はそれほど大電流が必要でない柱時計や懐中電灯等の用途に適している。冒頭の日韓合同電池で血圧計が動かなかったのは、韓国製のほうがマンガン乾電池だったためであろう。後者の方が電気抵抗が高い。電圧は同じなのに全体として抵抗が高くなりIR降下が大きくなり作動電圧が低下したのであろう。相性が悪かった。もう少し詳しく理由を調べたいところであるが家には精密な電流・電圧計がないのであきらめた。