大気汚染がすごかった川崎に住んでいたころ、まだ小さかった長男は風邪をひくとなかなか咳が止まらなかった。医師にこのままでは喘息になると言われ、勤務地から遠くなるが、思い切って空気がきれいと思われた厚木に土地を求め家を建てた。その家が今年で築50年になる。おかげで息子も娘も健康に育った。家の造作は遠い親戚にあたる郷里で建築業を営んでいた小、中学校の後輩のAさんに設計ともどもお願いした。設計図を見ながら、私もいろいろ注文した。限られた予算の中でAさんはさぞ苦心されたことであろう。大工さんも地元からやって来、建築予定の敷地内に小さな小屋を建てて寝泊まり、半年ほどかけて家が完成した。我々も時々、ここを訪れ、家が出来上がっていく様子を眺め完成を楽しみに待った。建て前の時には、郷里から両親もやって来、餅撒きなどもした。父がお祝いにと庭師をいれ、庭を作ってくれた。縁側近くに息子が池を作ると穴を掘ったが、これでは柱が湿気で腐ってしまうと大工さんいわれ、一ヵ月近くかかって掘った穴を埋め戻しさせた。代わりに建屋から離れたところに池も作った。家は寄棟の2階建て、雪国風の造りで柱は太く、屋根瓦も石川県の産地から求めた。大工さんが家はともかく瓦は城と同じく300年は持ちますねと笑っていた。おかげで2011年の東北大地震を初め、いくつかの地震に遭遇したがびくともしない。我が家の周りに同じころ次々と家が建ったが、ほとんどの家は壊され立て替えられている。ただ、2年ほど前の厚木地方を襲った地震で屋根瓦落ちたが、この時は近所の家々では冷蔵庫が移動し、書棚、食器棚等が倒れたとか。しかし、思い入れのあるこの家に住んだのは10数年、子供たちも大きくなり家を離れたころ、通勤先まであまりにも時間がかかり、朝家を出る時も倦怠感が抜けず困ったので、今の横浜にマンションを求めた。引っ越しは忘れもしない神戸淡路大地震の翌日だった。32年前のことである。厚木の家にはほとんど毎週のように土、日にかけて訪れた。庭の草取り、樹木、花卉の手入れのために。横浜と厚木間は約37km、朝早く車の少ない時で45分位、通常は1時間半はかかった。しかし、老齢化のため、昨年86歳の誕生日に思い切って車の運転免許証を変換した。この30年の間に何百回往復したことか。車運転を止めてからは相鉄線、小田急線、バスを利用して通っている。2時間から2時間半かかるので、つい行くのが億劫になり、この1年は月に1-2回になった。いつまで続くことやら。先週は梅を収穫し、徒長子を切ってきた。採れた梅は3 kgほど、氷砂糖と一緒にガラス容器に入れ梅ジュースを作製中で
ある。