子供の四季  七月

子供の四季 七月
○ 川干し
梅雨が明け7月も末になると日照りが続き、稲は力強く成育中である。田んぼにも水が欲しい。いつも釣りに行く須川も堰きとめられ、溜まった水が田に導かれる。そんな川が堰きとめられた直後に行き合わせると子供たちの天国となる。堰の下流はほとんど水がなくなり、それまで隠れていた小魚たちが姿を現す。鮒、鯰、ハヤ、タナゴ、ジンケン(イカ)がぴちぴち跳ねまわっている。それらのつかみどりがうれしくて、わくわくしたものである。ある時、流れの端の方で、背中を上半分ほど水面上に現した数10 cmの黒い鯉が静かにしているのを見つけた。誰にも気づかれぬようにそっと近づき、鯉の頭側に回りこみズボンが濡れるのもかまわず両足を広げて座り込み、両股の中に鯉を閉じ込めた。両手でこの鯉をつかみあげたときはうれしかった。いまもそのときの感触を覚えている。周りから寄ってきた子供たちがうらやましそうだった。家に帰って、鼻高々に母や弟たちに自慢した後、習字の墨を磨ってから、鯉の頭、腹、ひれ等に入念に塗り、これに和紙を包み込むように押し付け、拓本を何枚も採った。母の裁縫箱から持ち出した竹の物差しで長さを測ったら7寸あった。1寸は3cm であるから、21 cmということになる。しかし、子供の思い込みということもあるが、私の感触ではもっと大きかったという記憶があり、長い間そのことが気にかかっていた。ところが最近、新聞か本か忘れたが、そこに鯨尺と言う言葉を目にし、ハッと気が付いた。鯨尺とは主に呉服に使われる単位で1寸が約3.79 cmである。母の物差しは針仕事を使うときに使っていたものだったから鯨尺だったに違いない。したがって、あの時の7寸は3.79 cm x 7 26.5 cmになり、21 cmよりかなり大きくなった。でも、私の記憶ではもっと大きかったような気が今もしている。残念ながら、7寸であった記憶は確かである。
 
 
ドジョウ捕り
  当時の水田には水を導きいれるために田に沿って幅50 cmくらいの水路があった。ここに鮒やドジョウがたくさん住んでいた。このドジョウを捕るためにつずを仕掛けた。つずは竹ひごで編んだ、ちょうど一升瓶のような形をしており、底の方が中側にロート状に凹み、口が開いている。ドジョウはここから入り込むともう外には逃げられない。上の口から、大豆を10粒くらい入れ、草で口をふさぎ栓をした。夜、これを23個横にして川底に沈め、浮き上がらないように石や泥で上から押さえつけた。翌朝、早く未だ農家の人が草取り等の作業をしないうちに引き上げに行くのである。引き揚げた時、ドジョウが暴れていればしめたもの。つずの上側の草の栓を抜き、逆さにすると5匹から10匹位のドジョウが躍り出た。当時は食糧不足、このドジョウたちも大切な蛋白源になっていたはずだがどのようにして食べたのか記憶にない。味噌汁にでも入れられたのだろうか。