子供の四季  五月

子供の四季 五月
  魚釣り
 冷たい雪解け水が流れ去って、川の水が温かくなると魚も活発に動き始める。待ちに待った釣りシーズンの到来である。早速、冬の間寝かせてあった釣り竿、釣り道具を持ち出し、暇さえあれば釣りに行った。上流から下流にかけ、川の名称も変わったが、おもに行ったのは下流の川幅4-5m須川と言われた領域だった。最下流信濃川に合流している。3-4 kmも行けば来仰寺(現在は長岡市越路町)で、信越線の列車が走っているのが見えた。当時は未だ、客車は蒸気機関車に引かれていた。釣れるのはおもにジンケンだった。この魚は土地によって呼び名が異なり、一般名はオイカワのようだ。肌が銀色にピカピカ光っていて、釣り上げるとすぐ死んだ。名前は光る人絹の連想から来たのかもしれない。メスの大きさは10-15cm位、オスの大きいのは20cm位いでピンクや青の婚姻色に染まったのは美しかった。餌はサシが最も食いつきが良いのだけれど気温の低い春先の入手は困難だった。今なら釣り具店で容易に入手できるが、当時は魚を腐らせて自分で養殖していた。要するにハエの幼虫でウジと言ったが、この季節に蠅は未だ出てこない。そこで、この時期の餌はおもにミミズだった。川の深さに合わせて、うきの位置を加減し、水流に任せて糸を流し、うきが沈んだ瞬間に合わせて、竿を持ち上げる。ググっと手ごたえがあり、大きなのが釣れるとうれしかった。ときどき鮒、ハヤ、アブラハヤなどが釣れた。ごく稀に10 cm位のの黒い鯉が釣れた。釣りながら下流3-4 km位歩いたのだろうか。夕暮れになり風が肌寒くなるころ納竿、釣った魚は家に持ち帰った。夕飯のおかずができたと喜ぶ母の顔が見たかった。昨今、自然保護とか言って、釣った魚をリリースすることが推奨されているようであるが、私はこれが気に入らない。リリースするくらいなら、初めから釣りなどしなければいいのである。釣りはそもそも、縄文時代から、食糧を確保するための技術として始まった。ご縁があって、たまたま私の竿にかかった魚は食べられて初めて成仏すると思うのである。中途半端にリリースされた魚は口に傷が付き、その後生きていけるのだろうか。そのようなわけで、私の釣りは趣味であると同時に食用が目的であるから、いくら釣れても汚い水の川には釣りに行く気持ちになれない。また、食べておいしくないといわれるブラックバスヘラブナ釣りなどはしたくもない。釣った魚のうち、大きなものは魚拓を採った。習字用の墨を磨り、水気を取った魚に塗り、うえから障子紙や習字用の半紙を押し付けてばれんで擦り、魚の形を写し採った。今もその当時の魚拓が私の思い出の資料束の中に残っている。