2021年1月 定年後どこで過ごしますか 

 表題は購読している新聞の昨年12月のある日の投書欄の見出しである.Aさん(女性79) は「移住・都市回帰,今は2拠点生活」,Bさん(男性71) は「郊外から市街地へ,元気なうちに」,Cさん(男性78)「週末45キロ離れた田舎で農作業」,Dさん(女性55) は「好きな場所で夫婦別々もいい」,Eさん(男性74) は「積極的に関わりよそ者を脱した,市街地から山間地へ」とさまざまだった.それぞれの具体的内容は省くが,タイトルからおおよそ想像できよう.コメンテーターのM氏は述べている.

 「定年後一番つらいのは“することがないこと”,“何をしたいか”に応じて選んではいかがでしょう」云々と続いていた.

上記の皆さんのはいずれも成功している例で健康であることが前提であった.さて,私の場合はもう,定年後11年もたっており,いまさらじたばたしても仕方がないが,Aさんのスタイルに近いかもしれない.今から50数年前,公害真っただ中の川崎に住んでいた.朝出かけるとき,真っ白のワイシャツも帰宅時には襟など煤で黒く汚れていた.日中も空は暗く澱んでおり,子供たちは風邪をひきやすく,長男はいつまでも咳が続いた.医者から,このままでは喘息になりますよと言われ,思い切って厚木市に転居した.おかげで子供たちは風邪もひかなくなり元気に成長した.ただし,職場までの通勤時間が長くなり,当初は1時間半くらいだったのが,自宅から最寄り駅までの交通渋滞がひどくなり,2時間以上かかるようになった.当時は高度成長期,残業も多く通勤に4時間も取られ,朝起きても倦怠感が抜けず,土,日も何もする気になれず,もっぱら疲れを癒すのに費やされた.そこで,20数年前,思い切って横浜の現在の地にマンションを購入した.おかげで,Door to Door で35分から40分くらいになり,身体も快調になった.当時はバブル末期でマンション購入費は高く,時間を金で買ったような気がした.よく,1時間うん万円だと思ったが,健康は金には代えられないと自分を納得させたものである.しかし,20数年住み,庭木なども大きく成長し,愛着の湧いた厚木の家を手放す気にはなれず,空き家の状態が続いている.時々戻り,庭木の手入れ,草取り,町内会もそのままにし,近所の人たちとの交流を続けた.毎年,卒研生たちとバーベキューも行った.静かで夜もよく眠れ,釣りのできる中津川も近い.今もほぼ毎週,土,日は厚木に戻っている.約38km,車で1時間から1時間半くらいである.厚木と横浜間がもう少し近ければなどとしょうもないことを思う.いずれ車の運転も危うくなり,厚木はあきらめなければならないか,時間の問題である.車の自動運転は間に合いそうもない.

一方,横浜は食料品の安い横浜橋商店街,病院,市役所,銀行,本屋,図書館,映画館,飲み屋街等いずれも徒歩圏内,退屈する暇もない.厚木ほど終電車を気にすることもない.地下鉄10分で横浜駅にも行け,妻は今の場所が気に入っている.乳がんの後遺症に悩む妻には病院の近いことが何よりである.長年,厚木で親しくしていた人たちの何軒かは持ち家を処分し,都市部に移転された.

 話は変わるが,老人ホームや養護施設等は風光明媚な土地や喧騒な都市部を離れた郊外に在ることが多い.しかし,そこでは人の触れ合いは少なく決まった人との関わり合いのみになる.このような施設こそ,刺激が多く,人との接触が濃厚となる市街地に建設されるべきではなかろうか.活気の溢れる街に出れば子供や若者,不特定の年配者とも接触が可能で会話も多くなり,種々の刺激を受けよう.しかし,そうなっていないのは老人は静かな郊外で余生をという施政者の思い込みか,あるいは建設用地確保のための土地代が都市部の方が圧倒的に高額であるためかもしれない.

結局,現在の環境をいとおしみ,日々を大切に過ごすことがコロナ禍の今,最も求められていることなのだろうか.