子供の四季  七月

子供の四季  七月
  水泳ぎ
 小学6年生まで住んでいた寺町の家の北側に、100 mのほど田圃を隔てて酒座川が流れていた。今は田圃も無くなって、杉林と住宅で占められてしまった。川幅わずか3-4 mの水の少ない川で沢ガニ、カジカ、あぶらはや等がいた。時々、青大将ややまかがしが川を横切って渡った。7月も末になると、毎日午後はこの川に通うのが日課だった。川を堰止め、プールといえば聞こえが良いが、水深5-60 cmの、ちょうど子供たちの腰くらいの深さの水たまりを作る作業に皆で精を出したのである。ちょっと深みになった下流の端に水を堰止めるため、両手で持てるくらいの石を5, 6人で次々並べ、かつ積み重ねた。石は川底から次々掘り起こした。石を運ぶのに水の中に沈め、浮かすようにしながら運ぶ方が持ち上げて運ぶより軽いことも良くわかった。孔の隙間には小さな石を詰め込んだり、粘土を塗りこめたりした。私より2年先輩のガキ大将のSさんがいつも作業の指揮をした。Sさんは優れたリーダーだったが、残念ながら高校生のとき信濃川で溺死された。暑い7月、高校からの帰宅途中、ちょっとひと泳ぎのつもりがあだになった。このSさんからはいろんなことを教わった。お医者さんごっこもその一つだった。一週間くらいこの土木工事作業が続くと水が溜まり、淀みの長さは5 mくらいになっただろうか。ここで皆で泳いだ。クロールとか背泳ぎ、バタフライのような高度の技術は誰も持っていなかったから、もっぱら犬かきが専門、せいぜい平泳ぎくらいで競争をした。非情なことに、梅雨明け間際になると大雨で川はすぐ増水して堰は壊され、苦心の作のプールは元の河原に戻ってしまった。もう一度同じ作業を繰り返した年もあったし、あきらめた年もあった。川をせき止めたのがどの辺であったか、帰省の折に訪れてみたが、河川工事や大水等のためにすっかり川筋が変わってしまってわからない。当時のことを訪ねようにも仲間たちは亡くなったり、都会に出たりで皆ちりぢりになってしまい知るすべもない。それにしても、毎日、毎日ビーバーが巣作りするように一心に堰造りに励んだ子供たちのことを思うとなんだかいとおしくなってくるのである。まだ、小学校にも中学校にもプールが無かったころの話である。