2023年2月 この頃のごみ拾いと、ラジオ体操風景

  ごみ拾いとラジオ体操を初めてから間もなく13年になる。月並みの表現であるがあっという間である。ごみ拾いをするのは初めの頃は二人だったが、今は3人になった。ラジオ体操を行う公園や周辺の道路など守備範囲は広い。心強いことである。それぞれ、家を出る時間が異なるので、3人が揃うのは体操時の公園である。最近、嬉しいことにごみの量が少なくなったような気がする。寒い季節であるから、散歩したり、公園で休む人が少なくなっているためだろうか。ごみが20リットル入りのビニール袋にいっぱいになるまで家に持ち帰っているが、その間3-4日位である。初めの頃はひどかった。ホームレスの人達が数人、ベンチに腰掛け食事後、これ見よがしに、その辺に食べかす、ペットボトル、ビールや酒の空き缶、空き瓶等を捨てて行った。これ等を拾うと20リットルの袋で2個、3個になることが多かった。ごみが少なくなったのは喜ぶべきなのであるが、Yさん(90歳代の女性)など、「ちょっと物足りないね」と言っている。漁師が獲物を捕る感覚か。ここ数年、いつの間にかそれらの人がいなくなった。以前、出身地を聞いたことがあったが、皆地方出身、高度成長期に金の卵として上京して働いたのち、ちょっとしたはずみで家がなくなったまま年老いた人達だった。

 公園の管轄は南土木事務所である。公園の隅に集めたごみ袋を保管する蓋付きの木の箱が置いてあり、鍵がかかっている。我々はその鍵のコピーを持っていて、集めたごみ袋をこの中においてくる。数日たち、ごみ箱がいっぱいになると契約した業者がそれらのごみを持って行ってくれる。コロナ禍前はそのごみを選別する担当者もいたが、罹患が恐ろしいと選別されなくなった。南土木事務所の担当者は我々に、ごみを瓶、缶等燃えないごみ、ペットボトル、生ごみ等燃えるごみに選別してくれと要求してきたが、我々はごみ袋を三つも四つも持って選別しながら拾うのはとても出来ないと突っぱねていた。昨年、11月頃また、分別収集のことを言われた。「未だ薄暗い中、分別収集などとてもできない、そんなに言うのなら、選別は、あなたがやってはどうですか」と言ったら、売り言葉に買い言葉「じゃあ、私がやります」と担当の若い女性が言うのでそのまま放っておいた。年が明けた1月のある日、南土木事務所から電話が掛かってきて「朝、何時ころごみ拾いをされますか。その様子を拝見してもよろしいですか」と丁重に言われた。そして、ある朝、前からやり取りしていた女性と上司と思われる40代後半の男性、もう少し若い男性の3人が、ごみ拾いから公園に戻ってきた私に挨拶され、ごみ拾いの礼を言われた。そのうえで、やはりごみは1)生ごみ、燃えるごみ、2)瓶、缶、ペットボトル(混在していても良い)の二つの袋に分別して欲しい。生ごみ、その他何が入っているかわからない袋は中身を選別しないで、そのまま箱に入れてもかまわないと言われた。結局、分別用に二つの袋を持ち歩けばよいことになるので妥協した。そして、20リットル入りのビニール袋を100枚提供された。コンビニ等でポリ袋が有料になって以来、ごみ袋用のビニール袋は百円ショップで購入していたから、これはありがたく頂戴した。

 さて、ラジオ体操の方である。ラジオ当番(自宅から毎朝持参し、スイッチを入れる役目)を4-5年続けていたが、これは2年前、若いOさん(男性)にバトンタッチした。残念ながら、妻は昨年末から参加しなくなった。癌の後遺症や骨粗鬆症のために長い距離を歩いたり、運動するのが困難になってしまったのである。体操に参加するのは10人から15人くらい、正月三が日は3人だった。これから、暖かくなればもっと増えることだろう。参加者の平均年齢は80歳に近く、6割が女性である。参加者が固定化し、若い人の参加がないのがさびしい。現役の人たちは働くことに必死なのであろう。それにしても70歳代の人たちは未だ近辺に沢山おられるはずである。参加して欲しいが、コロナ禍が影響しているためか。これまでに10人くらいの人がぽつりぽつりと欠けて行った。そして、どこからともなく訃報の噂が届く。年を取るという人生の定めであろうか。体が動く限り体操とその前にやる我流の運動は続けたいと願っている。