2016年11月 会話

201611月 会話
 
 「?」,「!」これは手紙で交わされた世界一短い会話という1.『レ・ミゼラブル(1862)の刊行をめぐる作者のヴィクトル・ユーゴーと編集者との間の手紙で「本の売れ行きはどうだい?」「すばらしいよ!」ということであるらしい.
日本語での短い会話例はどうか.私の研究室出身のK君から聞いた話である.彼は青森県出身である.コンパの時だっただろうか.「先生,この会話の意味わかりますか」と言って次のような例を出した.「どさ」,「ゆさ」.まったくわからないので降参した.これは青森地方で冬の吹雪の夜,雪道で出会った2人の人が交わした会話で,「(あなたは)これからどこに行くんですか」,「(私は)これからお湯に入りに行くところです」という意味だそうな.銭湯にいくのか,あるいは知人の家にもらい湯にでも行くのだろうか.たぶん後者のような気がする.私も子供のころ,親しくしていたお隣りの家でよく風呂を入れていただいた.雪の中で大きな口を開けて長い会話をするのは難しい.私にも経験がある.学生時代,蔵王にスキーに行き,山越えをするつもりであったが,猛烈な吹雪で遭難しかかったことがある.湿った雪が風にあおられ,横殴りに顔に突き刺さるように当たる.目は開けていられない.わきにいる友人との会話もままならない.口をつぼめて怒鳴るようにして短い言葉でしか意思表示ができなかった.厳しい環境の中で永年にわたり鍛えあげられて,意味の通じる最小限の短い会話があのようになったのであろう.
夫婦も50年も続くと会話が少なく,短くなる.具体的名詞も「あれ」,「これ」で通じるようになる.もっとも具体的な名詞がとっさに口にでてこないことも多いが.私はあまり会話が得意でなく,長い会話が苦手である.比較的話好きの妻もさすがにこの頃は子供や孫たちに関する話題も尽きた.「あんなに今にも本棚が倒れそうなくらいたくさん本を積んでおくのに何か面白い話はないの?」と八つ当たりをしてくる.団体旅行に行っても,会話を交わさない夫婦が多い.妻も気になるのか,自分たちのことを棚に上げて「あの夫婦,ちっとも話をしないわ.旅行していてあれで楽しいのかしら」などと他人事ながら気をもんでいる.逆に楽しそうに夫婦で会話しているのを見ると我々も真似をしなければならないと思うのである.
数年前,風邪で喉をやられ声が出なくなった.耳鼻咽喉科に行き,治療をしてもらったが,その際,医師から「努めて声を出すように.大きな声で会話し,声を出して笑うのが健康に最もいいのですが,話す相手のいないときは大声で歌を歌ったり,新聞を音読したりしてください」と言われた.声を出し,会話をすることはボケ防止のためにとても大切なことらしい.幸い,私はほぼ毎日,ラジオ体操の集まりに出ている.その際,何人かの人たちと会話を交わす.朝の挨拶,天候のこと,体調のことなど.ほとんど決まりきった会話であるが,ときどき新しい情報も入手できる.どこそこの公園のバラが咲いたとか,盆踊りの会場はどこかを教えてもらうこともある.あるいは常連の誰かの姿が見えないと別の人があの人は風邪とか旅行などと教えてくれる.ここでも女性同士の話は尽きない.よくまあ話題があるものと感心する.少ない男性の参加者の間では残念ながら会話は少ない.女性の寿命が永いのはおしゃべり好きのためもあるかもしれない.
*1)宗像和重,「図書」No.12, p.8, 岩波書店 (2016).