2022年7月 命拾いをした話 その4

 7月に入り急に天気予報に雷注意報が多くなった。遠くの雷鳴を聞いているときはいかにも夏らしい気分であるが、窓越しに稲光が見られるようになるとさすがに少し怖い。毎年、落雷で何人かの命が失われる。私は落雷ではないが感電でひやりとした思い出がある。もう、60年以上も前の学生時代のことである。卒論で所属した研究室は電気化学研究室だった。そこでは、ポーラログラフという当時最先端の電気化学計測機器が数台設置されていた。一台、100万円くらいしたのではなかろうか。現在の貨幣価値では、1000万円くらいの感覚であろうか。この測定機器は100 Vの電源が必要であるが、当時の電力事情は未だ悪く、日中には90 V台まで電圧が低下した。これでは、機器の作動が安定せず、得られたデータには信頼がおけない。そこで、研究室前の廊下にスタビライザーと称する電源安定装置が設置され、ここから、各研究室ごとに測定機器用電源コードが配線されていた。各部屋には配電盤があって、ナイフスイッチがついており、スタビライザーからの配線がつながっていた。毎朝、一番早く来たものが、廊下のスタビライザーの電源を入れることになっていた。あとは各部屋ごとに任され、ナイフスイッチを入れてから、ポーラログラフやその他の機器の電源スイッチを入れ使用することになっていた。

 私の部屋のナイフスイッチは幅50 cmくらいのストーンテーブルを挟んで、少し背伸びをして届くくらいの高さの壁に設置されていた。ちょうど梅雨の頃だっただろうか。ある朝、このナイフスイッチを入れようと取っ手に触ったとたん、丁度ストーンターブルの縁に押し付けられていた私の男子の象徴にものすごい衝撃があって、電流が抜けていった。今から思えば他愛のない笑い話であるが、数年間の私の悩みは結婚して果たして子供ができるだろうかということだった。大電流で生殖細胞がやられたのではないか・・・・。その後、男女1人づつの子供に恵まれ、杞憂に終わった。子供たちにもそれぞれ、男女の子供に恵まれ、私には4人の孫がいる。感電が子孫繁栄の効果に寄与したのか、しなかったのかはわからない。

 電流は水と同じで最短距離を流れようとする。そのため、避雷針をはじめ、野原の立ち木に落雷するなど電流は尖ったところが好きなのである。現役時代の研究テーマの一つに電解めっきがあった。めっきは特殊な用途以外、表面が平滑であるのを良しとする。ところが油断すると電気めっきには凹凸ができやすく、放置すればますます顕著になる。電流が凸のところに集中するから、めっきもその部分で発達する。これを防ぎ、平滑なめっき面を得るために添加剤に係る膨大な論文が存在するのである。