2019年7月 私の学位論文 その2

20197月 私の学位論文(その2
 

アセトニトリルは沸点82℃で水を吸収しやすく,かつ気化しやすい液体で毒性があるため取り扱いに十分注意すること.試薬特級でもかなりの水を含んでいるので蒸留を何回も繰り返すことなど親切にいろいろご指導をいただいた.水を嫌う作業をするためにはグローブグボックス(水分をほとんど含まない気密性の高い容器)が必要であるが,ようやく,半導体工業でグローブボックスが使われ始めていたころで実験用グローブボックスなどどこにも売っていなかった.そこで,仙台市内にあった大友木工所に依頼し,幅90 cm, 高さ60cm, 奥行50cmくらいの木製の箱を作ってもらった.前面の上半分は蝶番を付け,折り畳み式で蓋を上部に開け閉めできるようにした.また,前面にガラス窓を付け中がのぞけるようにし,内面には厚さ3cmくらいの発砲スチロールを張り,少しでも湿気をよばないようにした.前面にはゴム製の手袋を取り付け蓋をしたままで内部での操作ができるようにした.さらに電気化学計測用の±のターミナルも取り付け,測定セルを中に設置したまま,外部の計測機器と連結できるようにした.今から思えば,いわゆるグローブボックスとは程遠く,気休め程度の乾燥箱といった程度のものであった.問題はアセトニトリルの蒸留だった.無機化学講座に所属していたから有機溶媒の精製,蒸留など全く経験がない.有機化学専攻の友人に蒸留器の選択,蒸留のやり方など一から教わった.乾燥剤として五酸化リン(P2O5)を蒸留器に添加し蒸留するのであるが,教わった通りにやってもなかなか水分が抜けなかった.カールフィッシャー法で水分の定量をするといつも100 ppm近くあったのではなかろうか.当時のアセトニトリルには試薬特級と言えども不純物として水の他にアンモニア,酢酸,アクリロニトリルが含まれていた.これらがなかなか除去できなかった.これは精製したつもりのアセトニトリルに支持電解質(電流を流れやすくするために加える塩で直接電気化学反応には関与しない)としてテトラエチルアンモニウム過塩素酸塩*1.これは形式的には鉄(II)→鉄(I)→鉄(0)→鉄(-1)の還元に対応するもので,本来,鉄単独で原子価が1価や-1価は存在しないが,ビピリジン錯体のため,電子がこれら配位子の方に局在化し,錯イオン全体として本来あり得ない低原子価状態が存在し得るものと解釈した.これらはのちに後輩の尾形君(山形大学名誉教授)東工大の佐治博士(現名誉教授)ESRその他の測定法で証明してくださった.中心金属を他の遷移元素Cr,Mn,Co,Ni等に変え,それぞれ異常低原子価錯イオンがアセトニトリル中で存在することを初めて電気化学的に示すことができ,コースドクターの人達より2年半遅れようやく学位をいただくことができた.下図はクロム(III)錯体のポーラログラムで,4段波までは下記の反応式に対応する.5段目の還元波は水の存在量とともに増大するので錯体とは関係ない溶媒関連の反応である.なお,この図では現在の表記法とは異なり,還元電流を正に,電位も右側に行くほど負電位に取っている.

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今思えば3年近くもノーペーパーの私を田中先生はよくまあ辛抱強く黙っていてくださったものと感謝している.その後,東芝に移り,上司で大学の先輩でもあった高村勉博士(去る1月逝去)のもとで本務とは別に上記の研究を続けた.高村氏の開発された鏡面反射率法を併用し,上記低原子価錯体の可視,紫外部の吸収スペクトルを測定することが可能となり,これらが評価され,日本化学会の進歩賞を受賞することができた.その後,40数年間,リチウム電池等の研究開発に携わることになったが,きっかけはアセトニトリルの精製からだった.いま,これらリチウム電池に必要な有機溶媒,あるいは電解質の溶解した電解液を購入すれば,水の含有量はゼロに近く,精製する必要もなくそのまま使用可能で夢のようである.

*1:C2H5)4NClO4)を添加し,ポーラログラム(電流電位曲線)を測定すると何も電流が流れないはずの電位領域に得体のしれない電流が流れた.除去しきれない不純物の酸化や還元に基づくものである.本来の業務である学生実験の指導や受け持ちの卒研生の研究指導の合間に今度こそはと期待しながら何十回も蒸留を繰り返した.大手の化学メーカーに就職した友人になかなか水が抜けないとこぼすとその会社ではJIS規格をはるかに超える高純度の物ができるので規制値以内で水を少し加えていると聞き,頭にきたものである.たまに田中先生から「調子はどうですか」と聞かれたが,なかなか歯切れのよい答えができなかった.同じ研究室の同期3名が博士課程に進学したが,彼らは着実に成果を上げ,論文を投稿,学位論文作成に励んでいた.もう今ではそれぞれ,奈良女子大学・名誉教授,岩手大学・名誉教授で,あと一人は残念ながら宮城教育大学助教授のとき夭折した.そのころの化学教室の廊下は確かコンクリートだった.田中先生の靴には鋲が打ってあったのか,少し速足のせわしない足音がコツコツ聞こえると,別に悪いことをしているわけではないが,顔を合わせないようにと部屋を出るのを避けたものである.2年目も過ぎるころ,ようやく不純物が除去されたのか,ノイズの少ない電流電位曲線が採れるようになった.そこで,ある日思い切って,還元物質としてトリス(ビピリジン)鉄(II)過塩素酸塩([Fe(bipy)3(ClO4)3])を加え,ポーラログラムを測定すると電流比1:1:1のきれいな3段の還元波が現れたではないか.早速,田中先生に報告すると非常に喜ばれ,すぐLetterとして投稿しましょうと言ってくださった(N.Tanaka, Y.Sato,Inorg. Nucl. Chem. Lett. 2, 359-362(1966