2019年10月 リチウムイオン電池開発あれこれ

 今年度のノーベル化学賞は周知のようにリチウムイオン電池の開発に寄与したニューヨーク州立大学のマイケル・スタンリー・ウイッテンガム卓越教授,テキサス州立大学のジョン・グッドイナフ教授,旭化成の吉野彰名誉フェローの3氏に与えられた.もしこのリチウムイオン電池が無くなったら現在の情報化社会は瞬時に崩壊する.それほど大きなインパクトを持っているこの電池開発の業績がようやく今回評価されたのである.3人のそれぞれの研究内容,業績はテレビ,新聞等で詳しく報道されているので省く.同じ分野で,これまで30数年研究に携わってきた私も大変うれしく思う.以下にこの間,私が見聞きしたこと,体験したことであまり知られていない,私の思い込みも入っているかもしれないいくつかのことを述べたい.この電池が実現するためには3氏の他にも多くの研究・技術者が関与している.ノーベル賞委員会は3氏に絞るのに苦心したのではないかと想像している.下種の勘繰りかもしれないが.
 グッドイナフ教授はこの電池の正極反応物質であるコバルト酸リチウム(LiCoO2)の発明が評価されたのであるが,このほかにも彼は中国などで広く使われているリン酸鉄リチウム(LiFePO4)も発明している.こちらの方がはるかに安価で,かつ安全性が高いのであるが,電子伝導性に劣るため大電流放電には向いていない.この活物質の特許はカナダのハイドロケベック社が所有しており(同社の研究者がグッドイナフ研に派遣され共同研究の結果発明したとか),うっかりミスかどうかはわからないが,たまたま同社は中国に特許申請をしなかった.このため,この鉄化合物は中国では使い放題であるが,わが国メーカーが使用すれば莫大な特許使用料を支払わなければならない.このため,日本のメーカーはほとんどこの物質を使っていないのではないか.

 

f:id:httpsblogsjpysatou_kanaga:20191021130431p:plain

写真は2010年開催された国際リチウム電池会議で特別講演中のグッドイナフ教授である.コンパクトカメラで遠くから撮影したため,焦点がぼけているが,とても鋭い目つきをしておられた.ノーベル賞は生存者のみに与えられる.その97歳の長寿を寿ぎたい.それにしてもGood Enough とは人を食ったような名前である.
 1980年発表されたコバルト酸リチウムの論文のファーストオーサーは当時オックスフォード大学グッドイナフ研究室に留学されていた水島公一博士である.ノーベル賞の同時受賞を期待されたが,残念だった.82年,東芝に入社された.その頃,私も東芝社員で,我々は上長の高村勉博士(去る1月88歳で逝去,詳しくは参考文献1) を参照されたい) のプロジェクトリーダーのもと,ニッケル亜鉛二次電池の開発に没頭していた.4月のある日,研究打ち合わせ会議の冒頭で「今度こちらに入社しました水島です」と自己紹介された.そして,イギリスではリチウム二次電池の研究 (まだ,反応機構も不明でリチウムイオン電池という言葉はなかった) をやってきましたと話されたが,我々はリチウム二次電池など未だ遠い先のことと思っていた.身近に宝物があっても,それを理解する能力,感度がなければ猫に小判,見逃してしまうのである.あの時,開発対象をニッケル亜鉛二次電池からリチウム電池に切り替えていればと思っても後の祭りであった.我々は水島氏のせっかくのリチウム二次電池の知識を生かすことができず,水島氏は本来の磁性材料の研究を再開され,別部門に異動された.そこで,大きな成果をあげられたようである.ある時,水島氏に「なぜ東大に戻らず(イギリス留学前は東大理学部助手),こちらに入社されたんですか」と伺ったことがあるが,当時は学生紛争のまっただなか,研究もできず,つくづく大学が厭になったからと述懐されていた. 
  話はそれるが,ニッケル亜鉛二次電池のPJは10年間ほど続き,製品化の手前まで行ったが,結局電池性能の信頼性の保証ができないということで失敗に終わり,3代目のPJリーダだった私が幕引きした.しかし,不思議なもので我々が最後に発表した36年も前の論文2) は未だ寿命があるようである.いま,太陽光発電とのペア―で電力貯蔵用の大型蓄電池が渇望されているが,これにリチウムイオン二次電池を当てるのではコストが高すぎるため,安価なニッケル亜鉛二次電池の研究開発がまた盛んになってきているのである.先日も我々の論文を見たと言って某大手メーカーの研究者が私を訪ねてこられ,いろいろデイスカッションをした.ひとりの方はこの論文よりあとで生まれた方だった
 電池には正極のほかに,負極も必要である.吉野博士は正極にコバルト酸リチウム,負極に炭素材料を使用した電池システムの基本特許を提案された.負極には一般にグラファイト(石墨)が使用されているが,その基本特許となると複数の提案者が存在するようであり,複雑である.池田宏之助博士(元三洋電機, 81年特許出願) や外国ではラチド・ヤザミ教授 (シンガポール大学) などである.ヤザミ教授は学会で私と会うたびに「負極の発明は俺だからな」と言われる.今頃,悔しがっているかもしれない.下の写真は水島氏と池田氏が初めて対面された時の写真である.

f:id:httpsblogsjpysatou_kanaga:20191021130615p:plain

 87年カナダのMoli Energy社から負極に金属リチウム,正極に硫化モリブデン(MoS2)を用いる円筒形二次電池自動車電話電源として発売されたが,発火事故が頻発し,直ちに販売停止となった.これは負極の金属リチウムが放電時溶解し,充電時金属リチウムに戻るとき樹枝状(デンドライト)となってセパレータを突き破り正極との間で内部短絡 (ショート) して大電流が流れ発火したのである.これを解決した技術が正極にコバルト酸リチウム,負極に炭素を使うことだった.ただし,負極に金属リチウムを用いると炭素の約10倍もの容量が得られるので,いまだにリチウムデンドライトを防止する研究は続けられている.
  91年,西美緒博士等 (ソニー) が世界で初めて円筒型リチウムイオン二次電池を実用化,これが同じ形状を維持したまま,ただし,多くの研究・技術者の努力によって当初の放電容量の2倍にもなって現在も世界中に流布しているのである.下の2枚の写真は西氏がソニーを退職された2006年春頃,知人達が集まった慰労会時のものである.吉野氏も出席されており,私にとっても貴重な写真になった.

f:id:httpsblogsjpysatou_kanaga:20191021130712j:plain

f:id:httpsblogsjpysatou_kanaga:20191021130735j:plain



   
その後,この電池技術はソニーから研究・技術者とも村田製作所に移管された.学会などで西氏にお会いすると「ソニーのトップは何を考えているのか」と憮然とした顔で私に漏らされるのである.生涯かけて努力した技術が他に移ってしまったその喪失感を察するのに余りある.利益を追求する企業の論理とはまことに厳しいものである.私の教え子も2人ほどソニーにお世話になっていたが,今は村田製作所の社員である.
 ところで,世の中ではソニーリチウムイオン電池が世界初ということになっているが,実は89年東芝電池から,コイン形のリチウムイオン二次電池を発売しているのである.その痕跡が「電池便覧」増補版(丸善 1995) に “・・・・リチウムを結晶の中に取り込むことができる炭素を負極に用い,正極にアモルファス五酸化バナジウム(a-V2O5)を用いた電池が1989年に(株)東芝電池からコイン形電池で商品化され,さらに1991年,ソニーエナジーテック(株)から・・・・” と記載されている.執筆者の金村聖志教授(首都大学東京) に感謝している.この電池の開発研究のころ,私は東芝電池に転籍していた.正極のアモルファス五酸化バナジウムは当時NTTにおられた山木準一博士(九州大学名誉教授,去る10月9日夜のNHK TVのニュースで吉野氏の業績を紹介された) 等が合成されたもので知人の山木氏に使用をお願いしたら快諾された.負極のリニアーグラファイトハイブリッド(炭素の1種) の方は,三菱油化の油井浩氏等が開発されたものである.ある時,当時の東芝電池の早尾社長に呼ばれ,「佐藤,このカーボンが電池に使えるかどうか試してみてくれ」と渡された.油井氏は学生時代,早尾社長の息子さんの家庭教師だった関係で,開発した炭素材料の使い道がないか検討してほしいと早尾社長に託されたものだった.テストしてみると非常に調子が良く,ごく短期間に電池にまとめ上げることができた.ただし,問題は用途で当時はカメラの距離計や露出計の作動電源,ダイナミックラムの記憶保持用電源としての用途くらいしかなく,生産量も上がらず赤字続きで2年ほどで生産をやめてしまった.電池の内容,具体的性能等は文献3, 4) を参照されたい.性能としては優れていたと思うが,用途がなければ仕方がない.その点,91年登場したソニーの円筒形電池は幸運だった.ビデオカメラ用途として需要が伸びた.それまで使用されていたニッケル水素二次電池では容量が少なく,また,メモリー効果という厄介な欠点を持っていたのでみるみる置き換わっていったのである.その他,ノート型パソコン,そして,携帯電話用途等,タイミングよく次々電子機器用電源として用途が拡大していった.電池は縁の下の力持ち,用途があった時初めて生きるのである.
 電池研究は面白い.次々複雑な現象のからくりが明らかになっていく過程はとてもスリルがある.ただし,実用化のためには基礎研究と異なる大きな壁があるのである.今回の受賞も製品化され,人々の生活に大きなインパクトを与えたからこそ,これを成し遂げた研究者に栄誉が与えられたのである.

参考文献
1) 佐藤祐一,電気化学,87, 90 (2019).
2) Y.Sato, M.Kanda, H.Niki, M.Ueno, K. Murata, T. Shirogami, T. Takamura,  J. Power, Sources, 9, 147-159 (1983).
3) K. Inada, K. Ikeda, Y. Sato, A. Itsubo, M. Miyabayashi, H. Yui, Proc.        Symp. on Primary and Secondary Batteries, Ed. J. P. Gabano, Z.                 Takehara, Vol. 88-6, p. 530 (1988), The Electrochem. Soc., Inc..
4) Y. Sato, Y. Akisawa, K. Kobayakawa, Denki Kagaku, 57, 527-532(1989).

 追記
 最近,ある方のご厚意で気になっていた下記特許を入手することができた.
1) 特許公報 平5-17669,「非水溶媒二次電池」発明者:平塚和也,佐藤祐一,青木良康,油井浩,宮林光孝,伊坪明,出願:1986.4.11, 公告:1993.3.9.

2) 特許公報 平4-24831,「二次電池」発明者:吉野彰,実近健一,中島孝之,出願:1986.5.8,公告:1992.4.28.
文章はわかりにくいが(今はどうか知らないが,当時はわざと判りにくく表現する風習があった),内容はほぼ似通っている.機が熟してくると没交渉にほぼ同じ時期に同じようなアイデアに行きつくようである.結局,我々は執念が足りなかったのである.