2019年6月 私の学位論文

20196月 私の学位論文
 
 今から56年ほど前,修士課程(博士前期課程) 2年の頃,父に博士課程に進学したい希望を告げ,ようやく了解を得た.その旨,指導教官の田中信行先生(東北大学理学部化学科教授) に恐る恐る申し出ると先生から「助手にならないか」と言われた.指導教授の命令は絶対である.我が家の経済状態も厳しかったのでありがたくこれに従った.「学位も取りたいのですが」と申し出ると「それでは研究テーマは“非水溶液のポーラログラフィー”にしたまえ」と言われた.
 ここで,ポーラログラフィーについて少し説明する.ポーラログラフィーとは電気化学計測法のひとつで,ボルタンメトリーとしてチェコJaroslav Heyrovsky (ヤロスラフ ヘイロフスキー, 1890-1967)と当時,彼のもとに留学していた志方益三(京都大学教授,1895-1965) によって考案された.作用電極として滴下水銀電極を用いることが特徴で,直線的に電極電位を連続的に変化させて応答電流を測定するもので(電位走査法ともいう),彼らは電流と電位の関係を自動的に計測する装置を完成させた.ガラスキャピラリの先端から数秒間隔で落下する水銀滴が落下するまでの間にその水銀表面で起こる電気化学反応によって流れる電流を測定するのである.水銀滴は次々更新されるから,常に清浄な電極表面での電流を再現性良く採取できる特長がある.1959年,Heyrovskyはこの功績でノーベル賞を受賞している.1950年代から1990年代にかけ,この学問はチェッコスロバキヤと,わが国,および米国が世界の最先端を走っていた.田中先生も助教授の玉虫怜太先生と“田中・玉虫の式”と言われる電極反応の解析式を提案され,Natureに論文なども掲載され,研究室は意気が上がっていた.
当時は水溶液中での電気化学反応を研究することが主体で水以外の溶媒を使う研究はほとんど知られていなかった.その時は面目ないことに「どのような意図で,なぜ,非水溶液なのですか」と問いただしもしなかったし,先生も何も説明されなかった.勘の良い先生だったから,水溶液中では知られていない新しい現象でも見つかるかもしれないと予想しておられたのかもしれない.水溶液中では電位を負側にしていくと水の電気分解で水素が,正電位側では酸素が発生するため,それ以上負,および正電位側での電極反応が起こっても観測できない.分解しにくい有機溶媒(プロトン性溶媒)を用いれば,より広い電位範囲での電気化学反応を観測することができる.水と激しく反応するため水溶液を用いては不可能なリチウム電池が成り立つ所以である.恥ずかしながら,このようなことを当初,明確に意識していたわけではなく実験しながら徐々に会得していった.当時は非水溶液の電気化学などという言葉すらなかったし,文献も見当たらなかった.どのように研究を始めてよいか,全く見当もつかない.困ったなと思いながら,あちこち当たってみたら,化学教室の近くにあった“東北大学金属材料研究所”通称“金研”に,Minesota大学のI. M. Kolthoff教授 (分析化学分野の世界的権威) のところに留学されていた池田重良先生(大阪大学名誉教授) が帰国されたばかりで,向こうでアセトニトリ(CH3CN) 溶液中のポーラログラフィーの研究をされてきたらしいとのうわさを聞きこんだ.早速,先生のところに伺い,アセトニトリルの取り扱い方などを教わってきた.池田先生は親切に細かいところまで教えてくださった.(以下次号)