2017年1月 パスポートの威力

20171月 パスポートの威力
 
 来る3月,学会でタイのバンコクに出張の予定である.気になってパスポートの有効期限を見たら,今年の9月だったのでひとまず安心した.これで9月以降パスポートを更新すればエジプト旅行が可能となる.実は前から気力,体力があるうちにピラミッドを見てみたいという願望があったが,これまでできなかった.実は今から10年ほど前,イスラエルで開催された国際会議に出席しており,パスポートにイスラエル入出国のスタンプがある限り,エジプトへの入国がかなわないのである.その時の学会はエン・ゲデイという死海のほとりのキブツ内で開催された.外務省のホームページを注意して見たが,ガザ,エルサレムベツレヘム等特定地域以外は渡航禁止令も出ていなかったので,思い切って行くこととし,ビザをもらうためイスラエル大使館に赴いた.この時窓口で「パスポートにイスラエルの入出国スタンプがあると敵対関係にある国,例えばエジプト等には入国できなくなります.これを避けるためには別の用紙にスタンプを押してもらえばいいですよ」と言われたが,手続きが面倒くさく思われたので,横着を決め込みそのまま所持していたパスポートに押印してもらった結果,今日までエジプトに行けなくなったのである.
 さて,パスポートにまつわる別の話,今から30数年前,東京で第2回国際二酸化マンガンシンポジウムが開催された.二酸化マンガンは電池の正極反応物質として重要であり,わが国は研究分野,マンガン乾電池生産技術,性能など世界のトップを走っていた.京都大学の電気化学や電池研究分野の権威であった京都大学の吉沢四郎先生が実行委員長を務められ,当時東芝の化学材料研究所長だった私の上司の高村勉氏が事務局長を務められた.参加18国,参加者は140名ほどのこじんまりとした国際会議だったが当時,日本では国際会議の開催は未だ珍しくMainichi Daily Newsが特集記事を組んでくれた.私は会場探し,その他下働きをした.事件は開催当日の朝起こった.会場の笹川記念会館は海外からのお客の歓迎の意味を込め各国の国旗を玄関入り口に掲げた.ところが朝一番,中国(中華人民共和国)からの出席者が受付に怒鳴り込んできた.台湾(中華民国)の旗を取り下げない限り会議をボイコットし帰国するというのである.台湾からの出席者との間で旗を下げろ,下げないで口論が始まった.お互い,国のメンツがかかっているのである.他の参加者に迷惑なので2人を別室に案内した.激しい中国語での口論が続き私たちは口をはさむすべもなく呆然としていた.ところが,しばらくすると急に雰囲気が穏やかになり友好的になった.どうしたのかと聞いてみると台湾からの出席者の息子さんがカナダに居留しており,その出席者のパスポートはどういうわけかカナダ政府の発行であった.そこで台湾国旗を降ろし,代わりにカナダ国旗でもいいかと問うとOKとなった.我々はほっとした.彼らもつい先ほどまで大声を張り上げ喧嘩していたのに,手のひらを返したようにまるで何十年にもわたる知己のごとく親しげに会話しているではないか.彼らのしたたかさ,大人の振る舞いにはとてもかなわないと思った.そして,我々の国際感覚の欠如を見にしみて感じた.この時はこれで収まったが,相手の状況を理解しないまま良かれと思ってなした行為がとんでもない,大げさに言えば国際紛争にまでなりかねないことがあると実感した.その後,知人たちが国際会議を開催する際は国旗掲揚の件は用心したほうが良いとおせっかいにも話したこともある.その時の中国からの出席者は東芝の研究所を訪問され,食事を共にした.お土産に蔵書印の印鑑をいただき,数年間は年賀状を交換したが数年後に亡くなられた.それにしてもパスポートやビザが無くなり地球上をどこへも自由に行き来できるようになるのは夢のまた夢なのだろうか.古代にはできていたのに.