2015年5月 公安警察に後を付けられた話

20155月  公安警察に後を付けられた話
 
 もう30数年前,私が東芝総合研究所に勤務していたころの話である.あるとき,某国立大学のH教授から「今,研究室にモスクワ大学S教授が滞在中なのだが,彼の希望で東芝科学館を見学させてもらえないだろうか」との電話がかかってきた.当時,東芝科学館は国道1号線の多摩川大橋を渡ってすぐ右側(東京方面から見て)小向東芝町にあり,一般市民に無料でいつでも見学可能で,東芝創立者である田中儀右衛門が発明した万年時計などが展示してあり,小学生の遠足先として人気スポットの一つであった.昨年,川崎駅西口にリニューアルオープンし,「東芝未来科学館」と名称を変えて連日,参観者でにぎわっている.お世話になっている先生であり,すぐ「よろしいですよ」と返事をした.そして,そのことを上梓に報告すると「佐藤,何を考えているんだ」とすごい剣幕で起こられた.言われてみれば,当時はまだ,ソビエト連邦崩壊前で,西側陣営と冷戦の真っただ中,公開されているとはいえ,共産圏の人物を企業の敷地内に入れることはご法度だったかもしれない.困ったなと思い,さらにその上の上梓の総合研究所のN所長に相談すると即座に「Hさんか,彼とは30年くらい前カナダに留学していたとき宿舎が同じだった.良く知っている.問題ないよ」と言われ安堵した.それから数日後,S教授はH教授,O助教授とともに博物館に来られた.2時間くらいだっただろうか,科学館の説明員の案内で熱心に見学された.
 翌日のことである.出勤したら,朝一番ですぐ総務課に来るようにとの電話があった.何事だろうと総務課に行くと,50歳前後の少し目の鋭い男性に合わせられた.「佐藤さんですね.私に見覚えがありますか」と言われた.私は「申し訳ありませんが,見覚えありません」というと,「実は私は神奈川県の公安警察のものですが,昨日,モスクワ大学の先生の科学館見学の時,あなた方に気づかれないよう,数メートル離れたところから後をつけていたんですよ.どんな質問をされましたか」.私は「温厚な方であまり,質問もされませんでした」と答えた.「今,共産圏の人たちは日本の情報を探ろうとさかんにスパイ活動をしているんですよ.私たちはソビエト大使館の車を常に追跡しているんです.彼らは我々の追跡を振り切ろうと車をあちこち乗廻し,郊外の道路脇の高圧線の鉄塔の根元などに受け渡しのためにルポの資料などを入れた容器を埋めているんですよ」と映画かスパイ小説でしかイメージできないようなことを聞かされた.そして「もし,今後S教授もしくは知らない人から何か連絡があったらすぐ私に知らせてください」と言われた.また,当時,東芝のセラミックスの研究は世界のトップを走っていたが,ロケット先端の被覆材として使うため,セラミックスに関する情報が欲しくて,中国空軍のトップが北京大学教授の肩書で東芝総合研究所の訪問を強く希望しているなどとも聞かされた.気付かなかったが,数日間は公安警察が私を付けていたらしい.幸いなことに何事も起こらなかった.
  その1, 2年後だっただろうか.日本で国際電気化学会が開催された.そのころ
ソ連の電気化学は世界のトップを走っており,この分野の大家である科学アカデミー総裁,K教授も参加された.会議終了後,K教授は東芝総研を訪問された.T所長が昼食会を催し,K教授,もう一人(名前を忘れた),先輩のS博士,私も参加した.いろんな話題が出たが,今も覚えている興味深かった話がある.ソ連の指導者はどのようにして選ばれるかという話になったとき,まず,幼稚園の園児たちを観察し,これはと思われるガキ大将をピックアップして小学校に送り込み,その先をフォロウするのだとか.限られた時間であり,いろんな話題のなかの一つだったからその先を詳しく聞けなかったのが残念である.釣りが趣味という K教授にS博士がナイロン製のテグスをプレゼントしたらとても喜ばれた.その後数年して1991年,あんなに強大を誇ったソ連は消滅,現在に至るロシア連邦が発足した.最近,この辺の状況を非常に生々しく克明に述べた佐藤優著「自壊する帝国」(新潮文庫)を読みとても面白かった.