2016年4月 身体髪膚

20164月 身体髪膚
 
私は学生時代の2年間,大学所属の学生寮で過ごした.築50年以上の古い二階建ての木造家屋で廊下などは波打っていた.嘘か本当か,万一火災が起こっても消防署は消火活動のために出動しないとか,まことしやかに伝わっていた.ここに80名前後の学生達が住み,青春を謳歌していた.入寮選考をはじめ寮の運営は学生たちに任された完全な自治寮だった.各部屋は12畳の畳敷き,ここに4人が寝食を共にした.
入寮間もないある朝,たぶん8時過ぎころ目を覚まし,これでは1限に間に合わないななどとぼんやり考え,何気なく天井を見上げると墨痕鮮やかに太い文字で“身体髪膚(しんたいほっぷ)これを父母に受く.あえて起床せざるは孝の始めなり”と書いてあった.人の身体はすべて父母から授かったものであるから,朝早く起きず,朝寝坊するのが親孝行の始まりであるというのである.この文章は誤りで,原文は中国の古い書物「孝経」にあり,“起床”は“毀傷,きしょう”が正しい.すなわち,人の身体はすべて父母から授かったものであるから,傷つけない ようにするのが親孝行の始めであるというのである.誰か,茶目っ気のある学生が上記のように読み替えて書いたのである.これをよいことに,私も時間割の組み立ての際,必修科目以外は1限の講義は取らないようにした.私は理学部だったが,当時理学部卒学生は非常な就職難で教育免許を取るよう勧められていた.これに必要な科目,日本国憲法,教育原理等は土曜日の授業が多かった.教師にならなくてもいいやとこれらの科目はスキップし,学生のころから早々と土,日の連休とした.それがどうしたわけか,大学教員になってしまった.不思議なことに高校教員までは教育免許証が必要なのであるが,大学教員にはそのような資格が不要なのである.最近はさすがに理工系の場合,学位を必要条件とする大学が多くなった.もう,その他は忘れてしまったが,天井板には先輩たちが暇に任せて書いたいろんな文章の断片やや文句の落書きがあった.
 子供のころ,よく怪我をしたが,また,親不孝をしたなと言われたような記憶がかすかにある.かっては,医学研究用に必要な献体数が必要数より少なかったという.身体に傷をつけるのはいけないという上記の理由によるものだろうか.小,中,高校と同期だった友人のYは残念ながら,早く亡くなったが,遺言により献体した.したがって,葬式の時は遺体がなく,2年後くらいに遺骨が戻ってき,郷里のお墓への納骨式には故人と親しかった友人たちと参加した.
近年,献体の数がふえているという*)30数年前の1984年に実施した全国の大学での解剖数は3293件.ここ数年,個人の遺志で献体を申し出るケースが飛躍的に増えて来た.2012年度は解剖数3728件に対し献体数は3639(献体比率97.6 %)という.20年前,10万人に満たなかった献体登録者は現在,216千人に急増している.これには医学に貢献したいという意識の変化もあるが,高齢化社会の進行と家族関係の希薄化によるところが多い.「自分が死んだあとに弔ってくれる人もいないから」「経済的に厳しくて,身内に金銭的な負担をかけたくない」(献体した場合,亡くなられたあとの処置から慰霊式までは,ひととおり大学側でやってくれるので)と言うような理由もあるという.私は後期高齢者医療被保険者証の裏側に“以下の欄に記入することにより,臓器提供に関する意思を表示することができます”とある,その記入欄の“脳死後および心臓が停止した死後のいずれでも移植のために臓器を提供します”の欄にチェックを入れている.