2016年3月 縮む身体

20163月 縮む身体
 
 7年ほど前,息子が私の喜寿のお祝いにと横浜元町の老舗の靴屋で奮発してちょっと高い紳士靴を買ってくれた.ところが,足に合わせたつもりだったが,少し小さかったらしい.数回履いてみたが,どうも少し足が擦れ,脱いでみると親指の甲と小指の外側や足首の裏側が赤く腫れている.もう0.5 mm大きかったらと悔やまれたが,履いてしまった後では取り換えもきかない.購入した靴屋に持っていくと,木製の靴型を靴にいれ木槌で外側からたたいてくれた.これでよほど履きやすくなったが,やはり長時間履くと親指の甲や小指の外側が腫れる.処分しようかとも思ったが,息子のせっかくの好意を無にするのも忍びなく靴箱に入れそのままにしておいた.1年ほど前,ふと思い出し履いてみると,すんなり足が入るではないか.試しに歩いてみると気持ちよく歩ける.ちょっと遠出をしてみたが,靴擦れも起きなかった.捨てないでよかった.今では少し改まった晴れの日の外出用としてなくてはならない靴になっている.そういえば,数年前から健診の時,若いころより身長が5 mm位短くなっている.これらのことから年をとると体は相応に少し縮むことを思い知らされた.これに合わせて体重も減ってくれるとよいのだが,これだけは別らしい.
 足のことで思い出した.小学校3年生まで担任だったF先生の足の親指は内側をむいており,小指も小さく紡錘形のきれいな足だった.戦争で亡くされた御主人の郷里に疎開しておられた先生は都会育ちで子供のころから革靴だったとのことだった.それに比べ,我々田舎の子供たちの足は親指は外側,小指等もどちらかと言えば外向きで末広がりに広がっていた.これは小さいころから藁草履や下駄を履いて育ったためである.安定して歩くためによほど指先に力が入るらしい.数か月履いた下駄や足駄の表面には指跡がくっきりとへこんでついた.足の指先はしっかりと地面に立つためにとても重要なのである.このことは片足で立ってみるとよくわかる.今では30秒立っているのも至難の業であるが,この間地面についている方の足の指先は,重心が偏らないようにバランスをとるため絶えずぴくぴく動いている.
 下駄を履いて育った足の指先は器用になる.岩波新書に池田潔著「自由と規律」という名著がある.それに載っていた話である.著者が子供のころイギリスのパブリックスクールに通っていたとき,日本人ということでいじめにあっていたが,何かの機会にビー玉を足の指に挟んで見せたらイギリスのわんぱく小僧たちにびっくりされ,以後一目置かれるようになったという.わたしもこんなことはお茶の子さいさいであるが,今の子供たちはどうだろうか.足の指でじゃんけんもできる.ただし,足の指でチョキ(はさみ)とパー()を区別するのは難しいから,前者は親指を上側に,人差し指以下は下側に曲げるのである.抗癌剤の後遺症で足の指先がしびれるという妻はビー玉は挟めないし,じゃんけんもできないと悔しがっている.F先生からは顔を洗う時,水で洗うと年をとっても顔にしわができないとも教わった.子供は妙なことを覚えているものである.それ以来,私は冬でもいつも洗顔は水である.効果があったかどうかはわからないが刷り込みたいなものである.ついでに髪の毛に水を付けると一瞬白髪が消え,カラスの濡羽色ではないが黒くなることを知った.残念ながら,数時間たち,髪が乾けば元の白髪が現れるが,数時間だけでもいい気分になれる.未だご存知の無い方はぜひ試されたい.どういう理屈かわからないが不思議である.調べてみようと思いつつもまだ果たさないでいる.
 足の指に関わる別の話,五木寛之のエッセイに出ていたものである.足の指はその先まで神経が行き届いており,しっかり,大地に立つためにも常に活性化しておかなければならない.そこで,その老化を防ぐために入浴時,足の各指について,指の間に手の人差し指を入れ,上下に10回づつ表側と裏側からこするとよい.このとき,ただこするだけでは退屈で長続きしないから,女性の名前,たとえば奥さんや好きな女優,あるいは初恋の人の名前などを唱えながらこするとよいとあった.これをまねして,私は右手の人差し指の先に合成繊維製の目の粗いタオルを巻きつけ,石鹸を付けてこすっている.すべての足指の間をこすり終わる頃には指先がホカホカしてくる.その際,誰の名前を唱えているかは内緒である.