2022年12月 ものおじ

 

  連日日本中を沸かせた今回のワールドサッカーボール世界選手権大会、もう言い尽くされた感があるが、日本チームの大活躍は暗いニュースが続く中、唯一の明るい話題だった。ところで日本チームの大躍進の原因は何だったのだろうか、多くの識者がその原因を述べているが、私は森保監督の采配もさることながら、選手たちが体格、技術的に優れた外国人選手達に対して、“ものおじ”しなくなったことが一番の原因と考えている。日本選手26人中、19人がヨーロッパの一流チームに所属、そのうちドイツのチームには8人が活躍中という。日本からはるばる出かけ、言葉も生活習慣も異なる、人一倍自己主張の強い彼らの中に入り込み、実力を発揮することは並大抵の努力ではあるまい。ここで数年もまれることによって、外人コンピレックスも無くなり、彼らの考え、性向もよく解るようになったことであろう。相手のことが解ると解らないでは大違いである。解ってみれば他愛のないことでも後者の場合は、相手がどう出てくるか解らず、いわれもないのに不気味に思われ、実力も発揮できない。そのような不安感がここ数年間の選手たちの努力で払拭され、伸び伸びプレーができたのである。

 それにつけても思い出す。もう、70年近くも前になるが、小さな田舎町(ほんの数年前までは村だった)の中学校から、20キロメートルほど離れたこちらから見れば都会の長岡市の高校に入学したころのことである。同期生は300人ちょっと、この高校の学区内にあった私の中学から男子5人、女子1名が進学した。近郷の郡部の中学校からの進学者もそれぞれ数名ずついたが、大部分は長岡市内の中学校からであった。彼らにその意識はなかろうが、校内でのさばっていた。言葉も少し異なり、在郷者(田舎者)と思われていたのではなかったか。彼らがまぶしく見え、こちらが勝手に委縮していたのである。入学当初に行われた学力テストはさんざんな結果だった。S君は新潟大学の学生から英語の個人レッスンを受けていたとか。ある時、彼が文庫本のドストエフスキーの『罪と罰』を貸してくれた。文庫本など手にしたのは初めてではなかっただろうか。難しくてちんぷんかんぷん、長岡の連中はすごいものを読んでいるんだなと思った。これではだめだとそれから、岩波文庫や角川文庫の読めそうな小説等を読むよう心掛けた。

 心配なのは学問、研究分野である。“電子立国日本”などと自負し、世界に羽ばたいていたころを頂点に、大学の研究施設も充実した。先進国に出かけなくても、国内で十分研究できる環境になったと錯覚したころから、若者の海外留学者数は減少しはじめたのではなかったか。教員も学生も内向き志向に転じたのである。まだ現役時代だった20年前頃からと思うが、教員も海外の学会で発表する機会を減らしていったようだ。工学部としての海外出張旅費予算が十分使われなくなった。教員が海外出張しなければ学生は外へ出るはずもない。コロナ禍がこれに輪をかけた。英語を話す機会も少なくなり、外人コンプレックスが広がらないよう祈るばかりである。