2019年 9月 夏の旅

2019年9月 夏の旅

 暑かった今夏もあと少しの辛抱で涼しくなることであろう.その8月から9月にかけて4回,遠出の旅をした.それらの概略をこれから述べる.
その1. お墓参り
8月3, 4, 5日とお墓参りのため帰省した.行先は新潟県小千谷市片貝町,ここに先祖代々の墓がある.明治初期に建てられたものらしいが年号は刻まれていない.私で9代目と父に聞かされた覚えがある.江戸時代末期までの先祖の名前はたどることができる.町の中心的な神社,浅原神社の境内に石の手水鉢があるが,その10名くらいの寄贈者の名前の中に佐藤三平と刻まれた私の先祖の名前も刻まれている.文化だったか文政だったか設立年代も刻まれているが失念してしまった.さる3月,母の3回忌の法要を長岡市の願誓寺で行ったとき,住職からお宅は今年,百回忌(大正9年没)と二百回忌(文政3年没)の佐藤三平さんがおられますと言われた.我が家の主の名前は曾祖父まで代々,三平だった.我が国では明治5年(戸籍法施行)以前の戸籍は抹消されており公式的にはたどることができない.私に古文書が読めれば旦那寺の過去帳をたどり,さらに古い先祖まで探ることができるのに残念である.
 さて,お墓参りである.残念ながら,妻は体調が悪く,息子も仕事で都合がつかず,孫たちも受験その他で多忙のため私一人だった.墓掃除を予ねて帰省したのであるが,すぐ下の弟が前もってきれいに掃除をしてくれており,ありがたかった.墓地内には8月も早い時期のためか,まだ山百合が数本咲いていた.墓石の脇にはまもなく桔梗が咲きそうでつぼみが膨らんでいた.
 私が小さかった頃は母に連れられ(父は新潟に単身赴任中)弟たちと8月10日頃になると墓掃除に,私が中学生頃になると母は来なくなり,お墓掃除は子供たち4人に任された.3-40年前までのお盆には,兄弟たちが皆それぞれの伴侶や子供達を連れて帰郷したから,父母も元気だったし,お墓参りの時はそれはそれは賑やかだった.もう,はるか昔になってしまった.
 
その2. 伊東への旅
 8月5, 6日,伊東市に赴いた.横浜国立大学の薮内教授に依頼され,日本化学会・化学電池材料研究会・夏の学校で講演を行うためだった.伊東は以前車で通りすぎたことはあったが,宿泊するのは初めてである.講演は6日午前だったから,当日朝,横浜出発では間に合わないので,前日の5日午前,まず東海道線で熱海へ,そこで伊東線に乗り換え2時間半くらいで伊東に着いた.意外に近いのである.小田原を過ぎるあたりから海が見えた.そういえばもう何年も海で泳いだことがない.海を見ると子供のころ,両親に連れられて日本海側の鯨波海岸に海水浴に連れて行ってもらったことを思い出す.信越線の汽車の窓から海が見え始めるともう,早く海に入りたくてわくわくしたものである.あのような高揚感はもう久しく味わっていない.
 5日午前中は学生諸君のポスターセッション,午後はソフトボール大会とのことであった.これに付き合うのは少々しんどいのでホテルでのんびり掛け流しの露天風呂に浸かった. 若者や子供づれは皆海水浴その他で出かけており,広い湯船を独り占めだった.夜は懇親会,久しぶりに若い人たちと会話し元気をもらった.翌朝の講演会,もう一人の講師は大阪市立大学の小槻勉名誉教授だった.小槻先生はリチウムイオン電池の三元系正極反応物質LiNi1/3Co1/3Mn1/3O2の発明者でこの物質は世界中で使われている.下世話な話で恐縮であるが,特許料は莫大であろう.大学の収入になっているという.薮内先生の恩師でもある.優れた先生からは優れた弟子が生まれる典型例の一つであり,薮内先生も現在,リチウム電池研究の世界のトップランナーの一人で国のプロジェクトリーダーである.私の講演題目は「電気化学とともに50数年」で,東北大学時代,東芝時代,そして神奈川大学時代に体験した,いくつかの失敗した,あるいはうまくいった研究例を1時間くらい話した.ありがたいことに90名近い学生,そして助教の若い先生方は熱心に耳を傾けてくださったようだ.

その3. 電気化学会秋季大会出席
 甲府市山梨大学で開催された上記学会に9月5, 6日出かけた.久しぶりに八王子から特急“あずさ”に乗ったが,すべて指定席になっていた.自由席がないのはつらい.特急券購入費もさることながら,発車時刻に縛られるのが悔しい.ふらりと都合の良い列車に乗れる自由度が無くなっている.商売第一のJRの陰謀かと疑ってしまう.関越,東北,東海道新幹線等にいつまでも自由席があることを切に希望したい.学会では2会場で並行して行われた“電池”の会場を行ったり来たりしながら聴講,相変わらずの盛況だった.ただし,測定技術,データーの解析技術等が高度になり,内容の理解できない発表が多くなったのは仕方がないか.いまは可燃性の非水電解液に変え,発火の危険性がないと言われる全固体リチウム電池研究分野に多くの研究者が集中している.これでよいのか,技術的に非常に困難な全固体にこだわらなくても難粘性液体と固体電解質とのハイブリッド型の電池はどうか.こちらの方が実用化が早いのではと思われるが,実際に研究できないのが残念である.もう,現役を離れ10年近くなるので研究者層も入れ替わり,数十人いる座長さんたちもほとんど面識がなかった.夜の懇親会は盛況で楽しかった.ここではかっての懐かしい知人達,と言ってもほとんどが年下であるが,歓談することができた.大学構内に山梨大卒のノーベル賞受賞者大村智先生の記念館がある.大村先生に関わる多くの資料が展示されており,興味深く見学した.1時間の昼休み時間では見切れなかった.また,別の日,武田神社に参拝,近くにある武田氏館跡歴史館も見学した.信玄以下歴代の主に関わる資料,中でも館跡から発掘されたという軍馬の骨格は興味深かった.体長が160 cmくらいしかない.日本古来の馬は小さかったのである.映画やテレビでの合戦場面は非常に迫力があるが,撮影には競馬用のサラブレッド種が使われていようから源平合戦や戦国時代の騎馬戦はもっと違ったものでなかったか.身長の高い武士なら馬にまたがったとき足が地面に届きそうな感じがしたのではないかと思われる.
 
その4. 花火見物
 数年ぶりに花火を見に帰省した.我が郷里,片貝町は江戸時代から花火が打ち上げられ,3尺玉発祥の地(明治24年,1891年打ち上げ)である.1985年には四尺玉が完成した.毎年,曜日に関係なく,9月9日,10日に一発づつ打ち上げられる.これを見るため,人口4千人強の旅館,民宿もないこの町に多分10万人以上の人々が集まる.また,郷里を離れて他所で暮らしている兄弟姉妹,子供,孫たちもこの祭りの機会に帰省する.宿泊は長岡,湯沢,小千谷,その他近隣の旅館やホテルで,あるいは車やキャンピングカーで来る人も多い.今年は久しぶりに兄弟(妹)4人が集まった.今年初め亡くなった夫の供養にと妹が大枚を投じ桟敷(さじき)を取ってくれた.甥達3人とも久しぶりに会えた.桟敷で見る花火は迫力があった.尺玉クラス以上の大型花火が顔にのしかかるように開くのである.破裂するときの音もズシーンと腹に響くようであった.昨年は民間放送局が90分近くテレビで実況放送をした.俳優の竜 雷太氏,宮崎美子氏がゲスト出演,対談の場面等も実況放送された1).
翌11日は近くの川口温泉で入浴,昼には魚野川に昔から設置されている川口の簗(やな)に行き,ここで捕れた鮎の塩焼きを堪能した.このようにして,異常に暑かった今年の夏も無事終わることができた.

1)今年は竜雷太中越典子のメンバーで10日の夜,放映されたと次弟が教えてくれ た.