2015年6月 もう大企業から画期的な新技術は生まれない?!

    20156月 もう大企業から革新的技術は生まれない?!
 
 先月,あるセミナー屋さんの依頼で4時間ほど“電池材料の評価法”に関する講義を行った.セミナー屋とは我々仲間での呼称で,情報産業企業の一種である.いろんな分野の最先端の情報やその時々のトピックスを取り上げ,その分野の専門家を講師としてセミナーを開き,聴講希望者はしかるべき参加費を払って,興味ある分野の話を聞く,そのような一連の企画運営をする企業のことである.数人から数十人規模で中には出版まで手掛けるところもある.私は現役時代には教育,研究が第一と考え,学会からの依頼を除き,このような依頼はすべてお断りしてきた.しかし,現役を退いた今は,未だ,私の知識がお役に立てばと考え直し,ここ数年そのような依頼にはできるだけ応じてきた.
前置きが長くなったが,先月のそのセミナーで驚くべき経験をした.上記テーマのようなセミナーはリチウムイオン電池が話題になりはじめ,企業や大学の研究・技術者が新たにこの分野に参入しようとしていた数年前のブームのころには雨後の竹の子のようにあちこちで企画され,数十人から百人規模の聴講者を集めた.それも一段落した昨今では聴講希望者は少ないですよと担当者に話したが,最低5人集まれば実行しますということだった.ツアー旅行のようである.私は「別に参加者の数は問題ではありません.実施されるなら講義を行いますよ」と答えた.案の定,参加者は5人だった.その中に一人,非常に鋭い基本的な質問をする聴講者がおられた.たとえば「電池の起電力は2種類の反応物質の単極電位の差で決まることは理解した.その電位の基準は水溶液中の水素電極を基準とすることはわかったが,リチウムイオン電池などに使われている非水電解液での電位基準はどうするのか」というものであった.この辺,電気化学の基本であるが,話が専門的になりすぎるので省くが,その中身をるる説明して解ってもらえた.講義を終わってから名刺を交換して驚いた.その方は役職名を言えばすぐあの企業かとわかる,特有の役職名を付けている我が国を代表する某電気機器・電池のメーカーのイノベーションセンターの部長級の方だった.「高い聴講料を払って,私の拙い話を聞かれるより,お宅にはその分野の専門の方々がたくさんおられ,そちらから話を聞かれたらはるかに効率的で有用ですよ.私こそお宅の話を聞きたいくらいです」と言うとその返事は「お恥ずかしい話,そのような環境にはないんですよ.組織も大きくなり,大型測定・評価装置も皆そろっていますが,何かちょっと思い付きのことを実験しようとしてもできない雰囲気なんです」といわれた.みなそれぞれの分担仕事に追われ,他人の疑問点に答える,研究手法の初歩を手ほどきするといったような余裕のある雰囲気にはない様子が話の端々から伺われた.悪しき業績主義が浸透しているためもあるのだろうか.他の参加者は二次電池評価装置メーカーの営業部の課長とその部下,日本を代表する半導体メーカーの技術開発センターの研究者,某県立産業技術センターの主任研究委員だった.この最後の方には,その近くの国立大学の電池研究者の知人を紹介した.
話は変わるが,先ごろ,かってお世話になった企業のOB会があった.懇親会には現役の役職者も多数参加された.その中の知人の一人に「今もアンダー・ザ・テーブル(Under the Table)は生きているか」と尋ねたら,あまり歯切れの良い答えは返ってこなかった.「あるといえばありますが,どうも今の若い人たちは現行の仕事をやらされているという気持ちが強く,役割の仕事(開発研究)とは別に何か面白いことをやってやろうという気持ちがないようです」との残念な答えであった.アンダー・ザ・テーブル(机の下) とは闇研究ともいい,本来の業務とは別に行う内緒の研究のことである.私の現役のころは特に明文化されたものではないが,暗黙の了解のもと10 %くらいは自分の好きな研究をやってもよいような雰囲気があり,上長は見ぬふりをしていてくれた.M氏の発明である,かって我が国を席巻した日本語ワープロもアンダー・ザ・テーブルが端緒である.私もこのアンダーザテーブルにずいぶん助けられた.詳しい話は別の機会に譲るが,今から35年くらい前,私が10年間も続いたある二次電池開発プロジェクトの三代目のプロジェクトリーダーのとき,その研究は表面上はスケジュール通りに進捗していたが,少し不安なところもあったので,内々に別種の電池開発を十数人いた部下の2人にやらせていた.プロジェクト研究の開発品をいよいよ事業化するかどうかという決断の会議で,結局,技術的に克服できない問題点 (現在も未解決,これが克服されれば現行リチウムイオン電池を超える夢の電池が実現する) があるため,このプロジェクトは中止ということになった.その時,私は実はといって,隠し玉の新しい二次電池の研究内容を技術人トップに披露した.その結果,それではそれを続けろということになって,私は首を免れた.その後,後輩たちの努力によりその電池は事業化されて大きく花開き,我が国のその電池のシェアーの30%を凌駕するまでに成長した.しかし,時の運といおうか,諸般の事情により,その電池事業部門は研究技術者,従業員,工場とも丸ごと三洋電機に移譲され,さらにその後数年して,その部門は三洋電機からFDKに移譲された.かっての部下や私の研究室の教え子は東芝,三洋,FDKと数奇な運命をたどり,いまはFDKの役員,部長,課長等になって活躍中である.
以上の状況より,あまりにもフォロウが厳しく,管理が行き届いていて余裕のない大企業からは世の中をひっくり返すようなイノヴェーションは起こらないような気がしてならない.日立,東芝ソニーパナソニックトヨタ,ホンダ等現在の大企業もはじめは創業者の発明を基に血のにじむような周囲を巻き込む熱心な努力と先見性によって発展し,今日に至っている.島津,京セラ,カシオ等々も皆然りである.やはり,今後の革新的技術は大企業からではなく個人のヴェンチャー企業から起こらなければならないのだろうか.どうしたらよいのだろうか.結局,環境,雰囲気づくりが大切と思われる.何か面白そうな技術が個人から起こった時,余裕のある人は見返りを期待しないで資金的援助をする.少なくもケチをつけ足を引っ張らないことである.私のささやかな経験では,企業において部下を数人抱える係長,課長クラスはその上からの難題をうまくかわし,部下に対する盾となって,彼らを自由に泳がすことが何よりも大切であろう.部下の成果を奪い自分の業績とするなど言語同断であるが,残念ながら巷で良く聞く話である.