阪東橋界隈から 2013年3月

20133月  気になる言葉使い、発音
 
 言葉使いが時の流れとともに変化するのはよく知られたことである。初めは奇異に聞こえた言葉使いも、多くの人たちが使い始め、耳にならされているうちにいつの間にか、それが当たり前になる。そして、国語辞典に取り入れられていく。そして、また、使われなくなった言葉使いが忘れられ、辞典からなくなっていく。最近、私が気になって仕方がない言葉使い、発音について以下に述べよう。
  ・・・・してもらってもいいですか。
 私が現在治療に通っている歯科の若い男性医師の言葉使いである。彼が看護師さんに何か依頼するとき、例えば「歯のレントゲン写真を撮ってもらってもいいですか」、「コップに水を入れてもらってもいいですか」、我々患者にも「口を開けてもらってもいいですか」、「口をすすいでもらってもいいですか」云々。彼は丁寧語のつもりで使っているらしいのだが、いちいち気になって仕方がない。なぜ、「・・・してくれませんか」、「・・・・していただけませんか」と言わないのだろう。指示であるから時には「・・・してください」でいいと思うのだが。この表現、NHKの朝ドラ、”純と愛”にも出てきたからびっくりした。料理の上手な愛(いとし)が純に「この料理の味をみてもらってもいいですか」と言ったのである。今、公共放送という言葉があるのかどうかわからないが、最も標準的な日本語を使っていると思われているNHKの番組に出てきたのである。若い人達の間では一般手的な表現になりつつあるのだろうか。だが、私にはどうしてもなじめない。
  ・・・・への取材でわかりました。
これは言葉としては正しい使い方なのであるが、そのような使われ方の状況
が気になって仕方がない。よくテレビや新聞報道で、たとえば殺人事件や何か大きな事故が起こったとき、「容疑者は・・・・・であるごとが警察への取材でわかりました」、「・・・・・関係者への取材でわかりました」といった使われ方をされる。もし取材がなかったらどうなるのであろう。我々当事者でないものは全く何もわからないままそのことが終わってしまう。つまり取材にあたる記者やレポーターが感覚や意識を研ぎ澄まして関係者に鋭く質問し真実に迫ろうという意識や気迫がなければ、通り一遍の凡庸なニュースになってしまうのである。これは考えてみれば恐ろしいことである。警察や関係者は必要最低限のことしか言わないのは世の常である。これまで追求を逃れて、真実が明かされないまま、あるいはうわべの事実だけで終わってしまったことがどんなに多くあったことかと容易に類推できるのである。健全なジャーナリズムの存在は非常に重要である。
  ・・・番のお客様
 帰省の際、関越自動車道を使うことが多い。そこには数十キロメートルごとにサービスエーリヤ、つまり休憩所がある。私がよく利用するのは上里サービスエーリヤである。道路が比較的空いていて車が順調に走るときは横浜の家を出て2時間くらい、小千谷の自宅と距離的にもほぼ中間地点がこの上里サービスエーリヤなのである。昨年買い換えたプラグインハイブリッド車はおせっかいにも「運転後そろそろ2時間になります。この辺で休憩しては如何ですか」と女性の声で言ってくれる。そこの食堂は自動販売機で食券を買い、窓口に出ししばらく待っていると女性の声でたとえば「35番のお客様、ご用意ができました」とマイクで知らせてくれる。35番と普通に発音してくれればよいのに、親切心から聞き逃されないようにと意識しているのか、“番”に強いアクセントが入り、その音程が高くなるのである。食事をしている間中も、次々と「36番のお客様」、「37番のお客さま」と“番”を強調した甲高い女性の声が耳に入ってくる。この声を聴くのが嫌でちょっと無理をして次の赤城高原サービスエーリヤまで行くこともしばしばである。気になって仕方がないのでよほど注意しようかと思ったこともあるが、私だけの特殊な感覚かもしれないと思い、言い出しかねている。多くのことに意見が対立する妻ともこのことだけは一致している。ここだけかと思っていたら、時々行く横浜市中区役所のある窓口の呼び出しでも“番”を強調した女性の声である。どうにかならないものか。