阪東橋界隈から 2013年4月

20134月  桜
 
       それぞれの思いのこして花散りぬ
今年の桜も横浜では早々に終わってしまった。桜のころになると50数年前の高校時代の国語の授業を思い出す。1年生の4月のある日の国語の授業だった。原稿用紙が数枚配られ、桜についての作文を書く課題だった。私は「私は公園とか山などに群れをなして見事に咲いている桜よりも野中の一本道の脇や田んぼのあぜ道に一本だけ咲いている桜のほうが好きである」と書き出したのはいいが、あとが続かず、この1、2行のみで1時間が終わってしまった。帰ってきた原稿には今では見なくなった赤色の色鉛筆で“不可”と書いてあった。その時の国語の先生のお名前は確か小林、しかし誰も小林先生とは呼ばず“土手かぼちゃ”というあだ名で親しみをこめて呼んでいた。50代後半の丸刈りのゴマ塩頭の丸い顔つきをしておられた。このあだ名の由来は母から聞いた。先生は若いころ母の在学した女学校に勤務しておられ、その頃女子学生からつけられたあだ名だったとか。毎朝、川の土手を自転車を漕いで通勤しておられ、お顔付きがかぼちゃに似ておられたからとか。あだ名といえば、同じく50代後半の英語の先生のあだ名は“チョン”だった。この由来も母から聞いた。新任のその先生は授業中いつも右手をポケットに入れ、左手で教科書を持って講義された。どういうわけか、ポケットに入れた手が彼女たちにはオチンチンをいじっているように見えたらしい。そのためあのようなあだ名がついたとか。女の子は若い男性に対しても容赦なく残酷なことをするものである。一生、不名誉なあだ名がついて回った。
 今(4月16)、帰省中である。実家は新潟県小千谷市片貝町、今年の冬は雪が2 m以上積もった。ようやく雪が消え、畑では農作業が始った。庭の梅が真っ盛りである。軒下には未だ雪の山が残っている。旧中学校の酒座川に面した土手の桜はようやく咲きだした。満開はあと一週間後くらいか。樹齢50数年の太い幹の染井吉野10本近く、満開のときはそれは見事である。この桜は私たちの同期生が中学3年生のとき植えたものである。当時はまだ、進学する生徒は少なく、3年生になると進学組と就職組に分けられ、授業内容なども部分的に異なっていたようだ。桜は後者の組の人たちが職業家庭科か何かの授業のときに植えたものだ。残念だが、今年は満開の桜が見られない。