2021年8月 気になる言葉使い、表現

 

 最近見聞きする、私には気になる言葉使いや表現のいくつかを以下に述べる。

「そうですね」

 スポーツ選手がインタビューを受けるとき、ほとんどの人は、まず、「そうですね」と受けてから、問いかけの質問などに答えていく。今回のオリンピックでもそうだった。勝者は無論のこと、期待されながらも武運つたなく敗者となった選手へも容赦なく質問が続く。彼らは、合言葉のようにまず「そうですね」と受けて、ひと呼吸をおいてから質問等に答えている。この「そうですね」とまず発する言葉はコーチから、あるいは先輩からそのようにするよう指導を受けているのだろうか。いきなり答えると、思ってもみなかった第一声のために、本意とは離れた方向の内容を話してしまうことはある。確かに、まず「そうですね」と受けると、その間に次に発する適切な言葉が見つかるようだ。しかし、あまりにも、「そうですね」を連発されると、聞く方はまたかと思って、あと聞く気持ちがうせてしまう。受け答えの方法をもう少し考えてほしいなと思った。それにしても質問者も質問内容をもう少し工夫してほしいと思う。「今のお気持ちは?」、「今後のご予定は?」・・・。ほとんどワンパターンである。過日、テニスの大坂選手が、今後記者会見には出ないと宣言し、物議を醸しだした。彼女のような一流の選手になるとインタビューも数えきれないほど受けているだろうし、そのたびに同じような内容の質問を受けており、質問者は何とか聴視者受けするような答えを引き出そうと執拗にプライバシーにまで踏み込んでいく。彼女が腹を立てるのも無理ないと思っている。

「半端ない」

 “半端じゃない”がなまって、短い言葉になったようで、以前から、若い人たちの会話ではよく見聞きしていた。辞書によれば“半端じゃない”はそのことの程度が並大抵の程度ではないの意味で、並外れてすごいことを表現するのにつかわれる。この“半端ない”がついに活字となって新聞記事に現れた。先日のオリンピックのレスリングで金メダルを取った須崎優衣選手の紹介記事に「スピードを生かしたタックルが武器だ。そして、何より、勝利への執着心が半端ない。」とあった。間もなく国語辞典にも「半端ない」が採られるのではないか。このようにして、はじめは違和感のあった言葉も常態化していくのであろう。

「生出演」

 有名人や何かの出来事にかかわった本人がテレビの会見などに録画ではなく直接出演するとき、この言葉が使われる。新聞のテレビ番組などで見るときは「おや」と思う程度であるが、音声で聞くとき、よい感じがしない。このことは特別なんですよと強調したいために使われるのであろうが、それこそなんとも生々しく、品のない表現である。もっと穏やかな表現はないものだろうか。人々の興味、注目を引こうとして、言葉はどんどん過激な表現になっていくようだ。

骨太の方針

 時の政府が重要政策を発表するときなどに使われる。経済財政運営と改革の基本方針と呼ばれており、その発祥は小泉純一郎内閣において「聖域なき構造改革」の着実な実施のために、経済財政諮問会議にて決議させた政策の基本骨格であった1)。政府を支えるブレーンが考え出した言葉なのであろうが、私はこの言葉を見聞きすると何か、背中に虫唾(むしず)が走るような気持ちがして落ち着かない。この造語を考え出した人はさぞ、得意であるに違いない。オブラートに包んだような、国民に何か期待を持たせるようなあいまいな表現である。何故、素直に“基本方針”と言わないのだろうか。

思いやり予算

 1978年昭和53年)6月、時の防衛庁長官金丸信が、在日米軍基地で働く日本人従業員の給与の一部(62億円)を日本側が負担すると決めたことから始まる。日米地位協定の枠を超える負担に対して、円高や多額の対米貿易黒字などによって日本が急激に経済成長する一方で、財政的な困難に直面し、日本が経済規模に対して軍事面の負担をしないことに不満を持ったアメリカ合衆国連邦政府の負担への特別措置を要請された金丸が、「思いやりの立場で対処すべき」などと導入したことに端を発するという2)。時間の経緯とともに、その予算の内容にも複雑な経緯があるようだが2)、当初の意味から外れてきており、不適切な予算内容になっている。しかし、言葉だけは依然として生き残り、独り歩きしている。何故、野党の議員やジャーナリズムはこの言葉を正そうとしないのだろうか。政府の発表する予算内容にこの言葉を平気で使っている。英語の表現はどうなっているのであろうか、未だ調べていない。この言葉も見聞きするたびに虫唾が走る。