阪東橋界隈から 2013年1月

20131月  銀杯
 
 母が昨年10100歳になった。2年ほど前の大腿骨骨折以来、移動は車椅子であるが、それ以外どこも悪いところはない。私が高血圧低下の薬を飲んでいるのに、母は薬類も全く飲んでいない。誕生日に先立ち、9月の敬老の日に国、県、市から表彰していただいた。市長自ら市の幹部の方と小千谷の自宅を訪問してくださり、母に賞状と賞品を手渡ししてくださった。市長の「長生きの秘訣は何ですか」との問いに母はちょっと考えたのち「食べ過ぎないことですね」と言った。飲みすぎ、食べ過ぎで太り気味の私には耳の痛い言葉であった。賞状のほかにそれぞれ賞品をいただいた。国からのは野田前総理大臣名の賞状と銀杯、県からは賞状と燕三条市の伝統工芸品である銅板を打ち出した菓子器、市からは賞状と漆塗りのお盆だった。お祝いをしていただいて文句をいう筋合いではないのだが、気になった銀杯について一言。お祝いの象徴として永年続いてきたのであろうが、100歳の女性が銀杯をもらってうれしいだろうか。男性でもよほどの呑み助ならいざ知らず、ほとんどの方はアルコールのドクターストップがかかっているのではないだろうか。贈り物は喜ばれてこそである。毎年、高額の税金を使って用意された数万個の銀杯が無駄に死蔵されているのである。現役のころ、ある金属加工会社を見学したことがある。そこでの利益のもとは製品からよりも金属のリサイクルであった。廃品回収業者から集められた大量の電子部品の中に多くの金杯、銀杯が交じっていた。それらは処分に困った遺族から出されたのであろう。これら貴金属を含む廃物から、金や銀が回収される。金鉱石中の金成分は1 ppm(百万分の一)あればペイするという。ところが回路基板には大量の金配線が使われており、含有量は10 ppmを超えるという。都市鉱山といわれる由縁である。
 妻から聞いた話である。宮城県のある市の100歳のお祝いの副賞は100万円だったという。ところが子供たちの間でその分け前を巡って争いが絶えないので、ある時から30万円に引き下げられたとか。豊かな市もあるものである。先日、サスペンスもののTVを見ていたら、ある女性に思いを寄せた男性が3回も香水を贈ったのに相手にされなかった。可愛さ余って憎さ百倍、男性はその女性を殺してしまった。思いを込めて贈ったのに相手に気に入られなかった時の落胆、贈り物とは難しいものである。それでは100歳のお祝いには何がいいのかと問われても思い浮かばない。女性にはちょっと豪華な花束だろうか。男性には?健康、それは無理である。