阪東橋界隈から 十二月

2012年12月 ごみ拾い(その2
 
 ある時たばこの吸い殻を拾いながら数えてみたら、170本くらいあった。翌日も180本と同程度であった。ベンチのまわり、信号のある交差点には特に多い。道路やグランドなどでは、不思議なことに吸い殻は1本落ちていると1-2 m以内にもう1本落ちていることが多い。またしばらく行くと2本というように、100本落ちていれば70-80本はペアーである。変なたとえであるが、吸い殻を獲物とみなせば二匹目のドジョウといったところか。このことをヘビースモーカーのY先生に話したら、「吸い殻をどこに捨てようかと迷ったとき1本落ちていると気が楽になって捨てやすくなるのではないですかね」との感想であった。さては先生、身に覚えがあると察した。ある個所に時々口紅の付いた吸い殻が落ちている。どんな女性だろうか、美人だろうかなどと妄想が膨らむ。しかし、偏見と言われても仕方がないが、私は本能的に女性の喫煙姿を好かない。その恰好が似合うのはマレーネデイトリッヒくらいだろうか。奥さんの喫煙がいやで離婚した大学時代の友人がいる。彼の気持ちが良くわかる。時々、火のついたままのたばこが捨てられていることがある。コンクリート道路だからいいようなものの捨てる人の気がしれない。行きに拾ったのに帰り道でまた落ちていることもある。また、たまに「はい」とベンチでたばこを吸っていた人やすれ違った人が吸殻を渡してくれることがある。内心むっとするが、ぽい捨てされるよりまあいいか。あるとき、「毎日ご苦労様」と言われ、コカコーラをもらったことがある。封が切ってなかったからありがたく頂いてきた。空になったボトルにお茶を入れ使っていたら、これを見つけた孫が「あれ、コーラ飲んだの」と言った。我が家ではコーラは禁止である。「ホームレスの人からもらったんだよ」と説明したら笑っていた。弱視気味の私であるが、慣れてくると15-20 mくらい先の吸い殻も見つけられるようになった。見通しの良い場所で、眼を走査(スイープ)するとちらっと眼に入るのである。たとえは少しおおげさだが、ちょうど鳶が野原や田畑の数百メートルもの上空を滑空していて、ネズミなどの獲物を見つけるのと同じような感覚だろうか。
拾えないごみがある。つつじの植え込みの陰や高速道路を支えている太い柱の脇にたまにある脱糞である。あと数10メートルから100 mくらいの所に公衆トイレがあるのに我慢しきれなかったのであろうか。また、飲みすぎで食べ物を吐いたあともある。しかし、これらは一、二週間放っておくと微生物がきれいに始末してくれる。
もっと始末に負えないごみがある。造花の植わった壊れかけたプラスチックのプランターである。きれいだったであろう花の色も今は薄茶色に色あせている。時々花弁の部分がちぎられてその辺に落ちている。このプランターがつつじの植え込みに人が入れないようにと歩道の端に沿って数個置いてあるのである。そして念の入ったことに容易に動かせないようにコンクリートプランターに流し込んであり、とても私の力では重くて移動させることができない。15-20 kgあるのではなかろうか。これにコンクリートが柔らかいうちに造花のバラを差し込んだものか、しっかりと花の茎はコンクリートに食い込んでおり抜くことはできない。プランターの後ろ中央には「南区役所資源化推進担当、資源循環局南事務所、不法投棄のない街に」と印刷されたプラスチック製の札が埋めこまれている。これが、私が気付いてからでも、もう何年も放置されているのである。
ごみ拾いのきっかけは70歳代の女性のYさんの姿を見てからである。彼女は皮膚がんにかかり、顔面を手術後命をいただいた感謝の気持ちにと私より1年ほど前から始めたとか。彼女は私より朝早く始め、私が動き回るころにはもう終わってウォーキング中である。「私は目が悪いから大きなごみ専門」と手やトングで比較的拾いやすいごみを、私は箒とチリトリで小さなごみを拾うのがいつの間にか暗黙の了解事項となった。