2019年8月 傘寿

 去る7月,80歳になった.傘寿(さんじゅ)ともいい,おめでたいことなのだそうな.とうに過ぎた70歳は古希,杜甫の詩,人生七十古来希なりに由来し,長寿を祝う語という.昔は70歳で希なら,80歳はもっと希なことでおめでたかったのであろう.しかし,男性の平均寿命が80歳を過ぎた現在,80歳を過ぎた人たちはそこら中にゴロゴロいる.と言ったら叱られようか.ほんらい,能天気のせいか,私はあまり自分が年を取ったという気がしないのである.これが若い人たち老害と言われる由縁なのだろう.しかし,さすがに身体的能力は衰え,若いころは軽々できた1-2 mの川などの飛び越え,それから高いところに登ること,あるいはちょっとした段差を飛び降りること等は怖くてできない.また,立ったまま靴下を履くことも困難になってきた.同期生の中にも不注意で転んだために骨折,そのまま急に衰えた人もいる.母は94歳のとき,畳の縁に足が引っ掛かり転倒,大腿骨骨折で車いす生活になってしまった.私も駅の階段などでよく躓くが,上がっていると思っている足がそれほど上がっていないのである.
 先日うれしいことがあった.子供たち夫婦がお祝いにと冬用のジャケットを作ってくれた.東京オリンピックのとき,選手団の入場時着る選手たちの制服を作ったとかいう老舗の洋服屋で採寸をしてもらっているとき,店の親父さんが「お客さん,お年の割には姿勢がよく,胸が厚く肩,腕なども太いですね」と言われた.10年近くやってきたスクワット,懸垂,腕立て伏せ,ラジオ体操の効果がようやくあらわれたのであろう.服もさることながら,体形をほめられた(?) のがうれしかったのである.採寸から2週間くらい後の,8月初めに出来上がったジャケットが店から届いた.布地は紺色のコージュロイで気に入った.冬の来るのが待ち遠しい.
 今,黒井千次著「老いのゆくえ」を読んでいる.私より7歳年長の著名な作家である.読売新聞に掲載された随筆をまとめたもので,著者の83歳ころのことが述べられている.そこには,著者の体験した,あるいは体験中の様々な症状が綴ってある.まだ,この症状は現れていないなと安心したり,「うん,そうそう」と相槌を打ったりしながら読んでいる.
 昨今,著しいのは外出するとき,必ず,一,二回戻ることである.財布を忘れた,行先を記した案内状を忘れた,横浜市の発行する敬老特別乗車証を忘れた等などである.「おや,もう.お早いお帰りで」と妻はにやりとしながら言う.もう一つはよくものを落とすことである.指の握力が弱っているのだろう.例えば,私の役目のひとつ,食後の食器洗い,気を付けているのであるが,茶碗や皿等,これまで何個か割ってしまった.先日,お墓参りに帰省した時,実家の戸棚に眠っていたご飯茶わんを数個いただいてきた.模様の違いから妻にわかってしまった.「あら,また割ったわね」,「洗わないものには落としようがないだろう」とうそぶいている.また,店で買い物をし,硬貨を財布から取り出すときよく,床に落としてしまう.所お動作遅くなった.妻と外出するときなど,玄関の鍵をかけるまで時間のかかること,かかること,情けないことである.上手に老いをならしつつどこまで行けるのか,手探りの昨今である.