阪東橋界隈から 十一月

   
201211月 ごみ拾い
 
ラジオ体操だけでは物足りないのでごみ拾いをしている。朝、650分頃家を出、公園までの途中の道路と公園内のごみ拾いをラジオ体操の始まる5分前で行う。そのあとスクワットを50回、腕立て伏せを10回行ってからラジオ体操に入る。雨の日は休み、朝早くから出掛けたりすることもあるので、体操とごみ拾いは週4-5回だろうか。ごみの種類はさまざまである。煙草の吸殻、空き箱、ライター、ビニール袋、段ボール、食べ物の入っていた空の発泡スチロール容器、割り箸、串、飴やスナックの入っていた空袋、錠剤のくすりやサプリメント入っていた空のカプセル、ビール、ジュース類の空き缶、空き瓶、缶詰の空き缶、ペットボトル、おちょこになったビニール傘やコーモリ傘、ゴミの入ったビニール袋、使用済みマスクやちり紙、コンドーム、スポーツ新聞、ヌード満載の週刊誌、アダルトビデオデスク、破れたジャンパーやシャツ、1円硬貨、10円硬貨、1000円札(これらは警察に届けるのも煩わしいのでいただいた)。身分証明書と電車の定期券、これは京浜急行黄金町駅に届けた。名前は伏せておきたかったのだけれど拾得者名を用紙に記入せざるを得なかった。あとで、お礼にとお菓子までいただいて恐縮した。
2年前、横浜でAPECが開催され、市内を徹底的にきれいにしましょうということか、それまで公園内に住みついていたホームレスの人たちがほとんどいなくなった。それでも、今夏までは12人、彼らはゴミが財産である。布団、衣類、食糧、空き缶その他を持ち歩き移動している。持ち切れなくなったごみを残していく。「余り散らかさないで下さいよ」と言うと「はい」と返事をする。それでも彼らの寝起きする段ボールの敷いてある周囲はごみの山である。いずれも70歳前後、出身地は沖縄、宮城、青森などでかって金の卵と言われ、集団就職で上京して来、高度成長期のわが国を支えて人たちであろう。どういうわけか女性はほとんどいない。それだけ彼女たちはたくましいということだろうか。寿町に泊り賃の安い簡易宿のあることを教えてあげても二、三日するとまた現れる。規則に縛られるのが嫌なことと係員の人たちの目線の高いのが気に入らないのだそうな。さすがに寒くなった最近は公園に寝泊まりする姿を見かけなくなった。どこで夜を過ごしているのだろうか。この春、サンジエゴを訪れたが、海岸通りには何人かのそんな人たちを見かけた。じーと黙って海を見ながら座っている彼らは見事なひげを生やしりっぱな風貌の人が多かった。  
                                                          以下次号