阪東橋界隈から

阪東橋界隈から  九月
 
 これまで子供時代の遊び事などを思い出すままに述べてきたが、ネタも尽きたので話題を変え、今後は身辺雑記、日々感じたことなど述べていきたい。
今、私が住んでいるところは横浜市営地下鉄“板東橋”駅直近のマンションである。今から17年前、それまで住んでいた厚木の自宅から勤務先まであまりにも通勤時間がかかるようになったので、勤務先の大学に近いという条件で新聞のチラシを見てここに決めたのである。厚木に家を新築したころは、勤務先まで1時間半くらいだったが、団地の開発が進むにつれて通勤者数も増えて交通事情が悪化し、最後のころは1時間4050分、ちょっと電車連絡が悪いと2時間近くかかった。体力的に消耗し、翌朝も倦怠感が抜けなかったし、時間ももったいない。そんな、こんなで思い切ったのである。厚木からの引っ越しは、あの阪神淡路大震災の発生した翌日、1995117日だった。チラシには阪東橋駅直近とあり、住所は中区弥生町であるが、3-400 m離れた所が伊勢佐木町、隣接するところは知る人ぞ知る黄金町(こがねちょう)である。京浜急行電鉄“黄金町”駅にも近く、引っ越した当時は、飲み屋街に昼間から肌もあらわなお姐さんたちが出入りしていた。今は住宅地になっているが、かっての遊郭跡、横浜橋商店街も近くで全く退屈しない刺激的な界隈である。引っ越し後のある日、教室会議で引っ越したことを話すと同僚だったS先生から「何であんなところに越してきたの」と冷やかされた。私はこんなところとは知らず、勤務先の大学に近いことだけを条件にこの場所を決めたのである。孟母三遷というけれど子供たちは成人を過ぎて家を離れており、妻と二人だけだったから、まあいいかと今日まで居続けている。地下鉄で「阪東橋」から「新横浜」駅に向かって横浜駅を過ぎ、一駅目の“三ッ沢下町”駅下車、あとは大学まで徒歩で18 分、夏の暑い日はもうちょっと、それでもDoor to Door3536分、途中に栗田谷という坂道を登らなければならないが、ちょうどよい運動になった。帰りは下り坂になるからもう少し短縮された。私はただ、自分の体力に自信が無くなったことを理由に引っ越したのにいろんな見方があるものである。佐藤先生は教育熱心である、学生との接触時間を長くするために引っ越したというようなうわさが立ったらしい。少しばかり学生たちからの株が上がった。その後、八王子と筑波の方から通っておられた2人の同僚の先生が大学の近くに越してこられた。藤沢に自宅のある某先生も「おれも近くに引っ越さなければならないな」と冗談を行っておられた。
17年も住んでいると街に愛着が出てくる。近くの横浜橋商店街は上野のアメヤ横町の小型版で食料品をはじめ物価が安い。11月には酉の市が立つ。中国人、韓国人、その他国籍はわからないが東南アジアの人々が多く出入りしている。これからこの界隈で見聞きしたこと、起こったこと、感じたことを述べていきたい。