子供の四季  六月

子供の四季  6
  パッチ(メンコ)
 季節を問わない遊びにパッチがあった。屋外でも屋内でも2人以上集まれば遊べた。パッチは直径10 cm15 cm位の円盤状のボール紙で、表には源 義経、楠 正成、那須野与一など昔の侍大将の顔が描いてあった。平清盛、源 頼朝などは無かった。11枚ずつ出し合って、これを上にして地面や床に置き、じゃんけんで勝った方から自分のパッチを手に取り、地面に並べられたパッチのどれかを狙って強く打ち付ける。淵の方を狙ってうまく当たればひっくり返る。そうすればそれが自分の取り分となった。7 cm x 5 cmくらいの長方形のものもあった。こちらには当時のプロ野球の花形選手、たとえば川上 哲治、青田 昇、藤村(名前の方は忘れてしまった)、大下 弘、スタルヒンなどの似顔絵が描かれていた。その他、ターザン、黄金バット、少年ケニアなど当時はやった映画やマンガ、劇画の走りのヒーローたちも描かれていた。どういうわけか、長方形の方に侍の絵は無かった。相手にひっくり返されないよう、淵を少し裏側になだらかにおりまげ、中央部が盛り上がるようにした。しかし、これが裏目に出て、打ちおろした自分のものが裏返しになることがあり、そんな時は相手に簡単にひっくり返され取られてしまった。裏返しにされないよう、裏側に泥などを塗って重くするとこれは汚い手と皆から非難され禁手だった。私はこのパッチに弱かった。取られてばかりいるので間もなく興味をなくしてしまった。そして、負けるのが悔しいから、麻雀、将棋、囲碁などの勝負事は避けてきた。そのため、ルールもほとんどわからない。すぐ下の弟はパッチが強くブリキ製の一斗缶にあふれるほどためこみ、母に取った相手に返してきなさいなどと言われていた。どういうわけか、息子も強かった。コンピュータゲームが流行りだしたころで、親には黙っているが、学生時代にはかなり凝ったらしい。娘の長男である孫もパッチこそしないものの勝負事に非常に興味を持ち、将棋やトランプなどのゲームに強い。将棋は幼稚園の頃、父親に教わってから面白くなり、将棋教室にも通い、6年生の時、初段になった。小学生のころ、毎年、三浦海岸の三崎町で行われる将棋大会に入賞し、賞品として大きなマグロの塊をゲットして来、我々までおすそ分けにあずかった。