2020年10月 栗の季節

 

 私は栗が大好きで,亡くなったら仏壇に栗飯を備えてほしいと妻や子供たちに伝えてあるが守られるかどうか.9月は栗の実る季節である.子供の頃,家の近くに古いお屋敷があって,広い敷地は石垣で囲まれ,お茶の樹が生垣として植わっていた.数本の栗の大木があって,繁茂した枝が敷地から道路の方まではみ出していた.9月になると大きく実った丹波栗が道路にもよく落ちてきた.これを待ち構えていた子供たちが拾うのである.ことに台風のやってきた雨風の後は沢山の栗が,茶色に光る粒で,あるいはいがごと落ちていた.朝早く,まだ誰も拾わないうちにこれらを拾えた時はうれしかった.雨風の強い夜など明日は沢山栗が落ちているだろうと布団の中で想像し,わくわくしたものである. 朝,まだ暗いうちに懐中電灯を持って拾いに行った.誰かに拾われないうちにと段々,家を出るのが早くなって,ついには4時前後になったのではなかったか.

 先日,久しぶりに渋皮煮を作った.渋皮煮とは栗の固い皮(鬼皮)を取り除いたのち,毛羽だった薄い渋皮が残ったままの状態で砂糖で甘く煮た栗のことである.ちょっと油断するとすぐこの渋皮が破れ,中の実がはみ出し崩れてしまうのであるが,今回はうまくいった.ネットでしらべるといろんな作り方があるようである.作ってみようというもの好きな人も少ないだろうが,念のため今回のレシピを記す.横浜橋商店街から買ってきた栗を15粒選んだ.一晩水につけておいたのち渋皮を傷つけないように注意深く外側の固い鬼皮を剥く.今は鬼皮を剥くのに便利な“栗太郎”というニックネームの,ニッパーを大きくしたような治具が販売されている.この渋皮が付いたままの栗を鍋にいれ,水をひたひたになるくらい入れる.重曹大匙1杯(1gくらい)も加えて10分煮る.水が黒くなるのでこれを捨て,また水を加え煮る.この操作を3回繰り返したのち,栗に被るくらい水を入れ,これに用意した (栗の重量の半分) 砂糖を加え,ガスコンロの炎を小さくしてゆっくり煮詰めていく.このとき,砂糖を一気に加えるのでなく,半分ほど加えたのち残りの砂糖を少しづつ加えていく.徐々に煮詰まっていくので焦げ付かないように少し汁が残った状態で火を止める.好みでブランデイを加えてもよいとレシピにあったが,代わりに手元にあったウイスキーを加えて完成.今回は1個,切腹しただけでうまくいった.鬼皮を剥くとき,渋皮に疵をつけたり,砂糖と煮詰めるとき火が強すぎると失敗するようである.少し多めに購入した残りの栗は茹でたのち,鬼皮,渋皮も取り除いたものを冷凍庫に保存した.時々,妻に頼んで栗飯を作ってもらうのである.

 話は変わるが,未だ稲作を知らなかった縄文時代の人々は栗を大切な食料源として珍重したようである.青森県三内丸山遺跡からは地面に穴を掘り,柱を建てて造った建物跡が見つかった.柱穴は直径約2メートル,深さ約2メートル,間隔が4.2メートルで長方形に6個の穴が見つかり,中に直径約1メートルの栗の木柱が入っていたという.遺伝子解析によれば,この栗の大木は栽培されていたという1) 多分,実も大きかったであろう.野山に生えている野生の栗の実は小さい.もう,70年も前の子供の頃,里山に入り込んでよく,この野生の栗の実を採って生のまま食べた.生で食べるのには未だ,いがの青い,熟す前の実の方が甘くておいしかった.食料難の時代が未だ続ていたのか,市販のおやつなども少なく,野山で調達した口に入るものは何でも食べた.春にはいたどり(すかんぼ,あるいはすっかんぼと言っていた.塩をつけて食べた),つつじの花,また,葉についていた“モチ”と言っていたが,白いこぶ状のもの(少し甘味があった),桑の実,野いちご,秋には栗,山葡萄,胡桃,あけびなどだった.柿は渋柿が多かった.