子供の四季  五月

子供の四季  5
  行軍将棋
  戦後間もないころは遊びにも未だ戦時中の雰囲気が残っていた。そのひとつに行軍将棋があった。盤面は、8 x 8の升目で、薄い紙に印刷されていた。駒の名称が通常の将棋と違っていた。王将に相当するのが元帥、以下大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、工兵、騎兵などの駒があった。タンク、地雷、飛行機、スパイという名称の駒もあった。位の上位の駒が下位の駒に勝った。しかし、元帥が一番強いかと言えば、地雷やスパイ等には負けた。地雷も強かった。ヒコーキと工兵に負けるだけだった。スパイは元帥以外のすべての駒に負けた。駒の動かし方はすっかり忘れてしまったが、これらの駒を使った別の遊び方があった。盤面で勝負するより、こちらの方が面白かった。数人の子供が集まった時、二組に分かれ数メートル離れる。そして、各組から一人ずつ、相手の組にはわからないようにいずれかの駒を持って両チームの中央で会って、互いに持ってきた駒を見せ合う。駒の位によって勝ち負けが決まり、負けた方の駒はその組の持ち駒から外していく。もう少し複雑なのは、中央に審判がいて、どちらが勝ったか判定することもあった。その場合は、お互い、相手の何の駒に勝ったのか、負けたのかは想像するほかない。それぞれのチームにはリーダーがいて、年下の子分に次はこの駒を持って行けと指示して持たせる。さっき、こちらの持って行った駒で、相手のたとえば、タンクを負かしたと思われるから相手にはもう、この駒は無いだろう。こちらの元帥はもうスパイと出会わなければ安心だ。あと、向こうに残っている駒は何々であるから今度はたとえば、相手は少将を持ってくるだろう。これに勝てるのは中将だから、中将を持って行けとリーダーが指示を出す。ところが、相手は予想に反して、大将を持ってきたために、こちらの持って行った中将は負けることになる。相手にあとどんな駒が残っているかを推理する、リーダー同士の頭脳戦である。あるいはチーム内で議論しつつ作戦を立てた。何回か、何十回かこのようなことを繰り返し、元帥が負けるか、持ち駒が無くなった時、勝負がついたように覚えている。戦いは男の子の本能か、勝った、負けたと一喜一憂した。おもしろかったなあ。
去る3月、高校時代の同期生で奥多摩の方にハイキングに行った。帰りに青梅に立ち寄ったら、町起しとかで昭和レトロ博物館があった。そこには昭和時代の子供のおもちゃ、たとえば、メンコ(パッチといった)、独楽、ベイゴマ、ブリキ製のポんポン蒸気船、それから、嵐寛寿郎鞍馬天狗ジョン・ウェインの西部劇の映画ポスターなどが展示されていた。そして、そこに懐かしい行軍将棋もあった。