子供の四季  二月

子供の四季 二月
 
スキー
♪兎追いしあの山、小鮒釣りし彼の川・・・・・・♪。おなじみの小学校唱歌“ふるさと”の一節である。クラス会、同郷会等で歌われる定番の曲の一つであろう。しかし、小鮒釣りの経験はさておき、実際、兎を追った経験のある方は少ないのではなかろうか。私は小学4, 5年生のころ、スキーで兎を追ったことがある。211日は国民の祭日の一つ、建国記念日であるが、戦前は紀元節といわれた。冬のまっ盛りのこの日にスキーを滑ると上達するという言い伝えがあるとか、先輩から教わった。当時住んでいた寺町地区では、この日、山スキーが行われた。中学生のガキ大将の元、10人くらいで列を作り、里山の雑木林の中をスキーで歩き回った。たまに、藪の陰から兎が飛び出す。それを皆で追いかけるのであるが、逃げ足の速い兎を子供たちが捕まえられるはずもなかった。先輩たちが急な坂をすいすい滑りおりるとき、味噌っかすの、技術の未熟な私などはすぐ転んでしまう。遅れまいと泣きべそをかきながら必死にあとを追った思い出がある。当時はまだ、プロかどうかはわからないが、時々、鉄砲打ちに会うことがあり、背中に打ち取ったキジや兎が背負われていることもあった。子供たちのスキー靴は藁で編んだものだった。当然、すぐ足は濡れてくるが体温で温まり、冷たくはなかった。現在のような断熱性、撥水性に優れたスキーウエアーなどはなかった。下着を重ねて上に黒の学生服を着るか、綿の入った半纏を着るかで、半日雪山の中を歩き回って、家に着くころにはびっしょり濡れていた。
その他の日のスキーは松阪と言ったと思うが、お墓のある仲使山の上の、今はすっかり土砂採集のために無くなってしまった山か、今は平地になってしまった中学校グランド辺のだんだん畑 ( 芋坂といった)だった。まず滑る場所を作らなくてはならない。なるべく広い面積にするため、スキーを履いた数人で山の斜面に直列に並び、下から上に向かって段を刻むように登っていく。たった20-30 mくらいの長さの斜面がスキーでならされるとあとは直滑降で滑り降りることの繰り返し。重い湿った雪であり、現在のスキー場のようにブルドーザーのような機器をもちいた硬いゲレンデなどできるはずもなかったから、ウエーデルンとかクリスチャニアなどといった曲がるための技術は誰も持っていなかったように思う。あの頃、体育の時間などで正しいスキーを教わっていればと後になってから思ったものである。高校生になってからの体育でのスキー授業は長岡市の悠久山スキー場で行われた。技術別にA, B, Cクラスの分けられたが、片貝組は皆、Cクラスでなかっただろうか。