2021年2月 雪の恐ろしさ

 

2021年2月 雪の恐ろしさ

 

 昨冬はほとんど雪の降らなかった北陸、新潟地方の今冬の大雪はすごかった。幹線道路で車が雪で動けなくなり数十キロメートルにわたって渋滞した。雪に慣れていないドライバーたちはさぞ恐ろしかったことであろう。怖いのはガス欠、暖房は切れ、車内は冷えてくる。トイレはどうしよう、お腹は空く、雪は降り続く、閉じ込められてしまうのではないか、車内灯もつかず、夜になれば真っ暗、ぼんやり雪明りだけ、唯一の救いは前後に同じような車、仲間がいるということだけだろうか。2月19日午前九時時点の郷里の母校、小千谷市片貝中学校の積雪は、昨夜から今朝にかけ29 cmの降雪があり、152cm、気温は-0.5℃である。立春を過ぎ、こちらは今日も快晴、梅の真っ盛りなのに、あちらは未だ真冬なのである。

 これまで体験した雪にかかわる恐ろしかったことを二、三記そう。学生時代の2月のある日、寮の友人のK君(もう数年前に亡くなってしまった。ご冥福を祈る)と冬の山越えをしようと蔵王にスキーで出かけたことがある。宮城県側の刈田岳(かっただけ、標高1758 m)にまず登り、お釜(火口湖)を右下に見ながら熊野岳(標高1841 m)に向かい、地蔵岳(標高1736 m)の樹氷の間を下り山形県側の蔵王温泉に浸かり帰仙しようという計画だった。もう60年以上も前のことである。山スキーといえば今では便利な器具がたくさんあるが、当時の最高品は上り坂で逆走しないようにスキーの裏側に動物の毛皮のシールを張り付けることだった。しかし、貧乏学生にはそれも高根の花、荒縄をスキーの板に隙間なく巻き付け縛って代用にした。スキーを履いて、汗をかきかき登り間もなく刈田岳山頂につくかと思われたころから雪が降りだした。そのうち風も吹き出し、眼も明けていられないような猛吹雪になった。ルートから外れないようにと5メートルから10メートル間隔で竹竿が目印として転々と立っていた。これを頼りにたどっていくのであるが、不意にその竹竿も見えなくなった。竹竿を見つけるために30分から1時間くらい歩き回っていたのでないか。必至であるからその時間感覚もわからない。同じ付近を歩き回っていたのでないか。いわゆるワンダリングである。そのうちふと気づくとスキーが滑っている。下っているのである。このまま行けばどこかの谷に迷い込んで遭難である。絶対こんな場合は下ってはいけない。高い方に登れというなにかで読んだ教えを思い出し必死に坂を登った。大声で叫ぶとK君も苦戦しているらしくかすかな声が聞こえた。ようやく平らなところにたどり着き周囲を見回すと少し小降りになった吹雪の間にかすかに竹竿が見えた。しめた、助かったとこんなに嬉しかったことはなかった。残念だったが、今回は山越えをあきらめることとし、2人で慎重にもと来た道を引き返し下山した。

別の年、今度は研究室の後輩のS君たちと同じコースをたどった。この時は快晴に恵まれた。ようやく念願を果たしたと嬉しくなり、熊野岳山頂付近を気持ちよく滑っているとうかつにも転んでスキーの片方の板を折ってしまった。皆、快調に地蔵岳樹氷の間を滑りおりて行くのに、自分だけ折れたスキーを担いでとぼとぼ山を下りた。

また別の時、研究室の仲間数人で同じコースをたどったことがある。この時は少し天候が怪しかった。終日、曇った雪催いで、刈田岳から熊野岳に向かう途中、右下に見えるはずの御釜もガスで見えなかった。雪も降り始めた。熊野岳に到着したころは吹雪、反対側の地蔵岳の方からやってきた数人の男女のグループと出会った。お互いに挨拶を交わすと東北放送に勤務する人たちだった。我々とは逆コースでこれから刈田岳を経て宮城県側へ下山するとのことだった。お互い気を付けてと声を交わして別れた。帰宅した夜、ラジオでニュースを聞いていると「夕方には下山するはずの東北放送のスキーツアーの一行がまだ到着していない」と報じた。もう記憶も定かでないが、遭難者が出た。あの人たちだと直感した。冬山は生死が紙一重なのである。これまで数回、いろんな場面で命拾いをしたが、以上もその一つである。以下次号