2019年2月 東京片貝会・母校を励ます会

20192 東京片貝会・母校を励ます会
 
 関東地方には多くの県人会や郷里出身者の親睦団体がある.私の出身地新潟県小千谷(おじや)市片貝町 (2004年の中越地震震源地に近く,四尺玉で有名な花火気違いの町である) にも東京片貝会(会員約350)があり,今年,創立60周年を迎える.その昔は農村で兄弟が多かったから,長男以外はほとんど地元を離れた.江戸に出た男性には風呂屋や米屋に奉公したものが多かった.つい60年ほど前まで,女性は女工として関西方面まで紡績工場等に,また集団就職で関東方面に来る人たちも多かった.郷里を想う心は人一倍強くても新幹線で日帰りが可能な現在とは違って簡単には帰省できなかった.江戸時代にも多分,関東地区に存在するそんな人たちが懇親会に集まっては故郷を懐かしんだことであろう.東京片貝会が戦前にもあったことが記録に残っているが戦争で途絶えてしまった.戦後,新たに発足した会が現在まで続いているのである.
今から37年ほど前,当時の会長・佐藤量八氏の“今,我々が元気でそれぞれの分野で働けるのは小学校,中学校でお世話になったおかげである.その感謝の気持ちを形で表そうではないか”との 提唱で“母校を励ます会”が発足した.当時,40台前半だった私は佐藤氏の命令で“母校を励ます会”会長にさせられてしまった.勤務先ではプロジェクトチームを抱え,時間的にも気持ちの上でも余裕がなかったが,清水の舞台から飛び降りる気持ちで(少し大げさだが)お引き受けした.会の運営資金は会員の寄付金で賄い,毎年,母校の片貝小学校,片貝中学校に図書費として10万円づつ贈るとともに,中学校で講演会を開くことを決めた.小学校にはこの図書費で賄う文庫が作られた.相馬御風作詞になる校歌“洋々として流れゆく大河信濃の水清く・・・”からいただき,私が「洋々文庫」と名付けさせていただいた.毎年,6月開催の総会には,小,中学校の校長が上京され,贈呈式が行われている.近隣の小,中学校から転籍してこられる教員は前任校に比べ,図書の多いことに驚かれるという.毎年「世界児童文学全集を購入しました,とか動物,植物図鑑を購入しました」などと担当教員からの手紙や生徒たちからの感謝の作文が送られてくる.生徒たちの読書感想文コンクール等で多くの入賞歴がある.こんなことが37年も続いており,地元の“新潟日報”にも取り上げられたことがある.もう,親子2代でそれらの図書を読むような年月が経過した.
講演会の方は毎年,10月から11月にかけ,講師が中学校に赴く.小学5年以上の生徒たちが講演を聴講することになっており,中学校では教育活動の重要な行事の一つとして組み込まれている.父兄の希望者も参加する.高名な人を呼ぶほどの資金もないから,講師は母校のOBの誰かが勤める.はじめのころはどこかの分野で成功され,功成り名を遂げられた方が選ばれたが,そんな方はたいてい70歳以上であるから,生徒たちとの年齢に差がありすぎ,講師が熱弁を奮っても言葉使いや自慢話など話の内容についていけず居眠りする生徒が続出した.幹事会で相談の結果,ある時から,その年,50歳の同期生の中から活躍中の誰かを選ぶことにした.それが功を奏したようで,自分たちの父親や母親よりわずかに年上の講師の話に生徒たちは熱心に耳を傾け,講演後の質問も活発になった.昨年は第37回講演会が実施された.会報によれば,自分達の先輩が世の中で活躍中と知った生徒達は非常に感動したようである.長く続いて欲しいと願っている.