2014年6月 カラスは白い

20146月 カラスは白い
 私事で恐縮であるが,妻は数十年前の新婚のころ,私の母から「家庭を円満にまとめていくために亭主を立てなさい.亭主がカラスは白いと言ったらそうでございますと言いなさい」と言われたとか.大正元年生まれの夫唱婦随の教育を受けた母の言いそうなことであった.人一倍強い自己主張癖のある妻はよく我慢したと思うが,新婚早々ゆえかその場ではこらえて反論をしなかったらしい.その反動が私に向けられた.何かのきっかけで夫婦喧嘩が始まるとき,まず,開口一番「カラスは白くありませんからね」との妻の先制攻撃から始まる.爾来数十年,大変恐れ多いことであるが,昭和天皇終戦時の詔の中にある“・・・・堪えがたきを堪え,忍びがたきを忍び・・・・の心境が続いている.今はもうすっかり慣れ,合言葉のようなものと聞き流している.妻を言い負かすための説得力もこのようにして鍛えられたか.父は時々無法なことも言ったようであるが,母はこれをうまくいなして金婚式も無事通過し,父は90歳で逝った.母は101歳で健在である.よほど芯 ()が強いらしい.
 15年ほど前,長期海外研修制度を利用し,3か月間カナダのハリファックスに滞在したことがあった.休日に500 kmほど離れた”赤毛のアン”で有名なプリンスエドワード島に車で訪れた.一晩泊ったB&B  (Bed and Breakfast)の名前は” 海の見えるアンの家”で,70歳代の女性が一人で運営していた.朝食の時である.彼女が「I like Japanese girls very well, because they never say "No".」とぽろっと言った.これを聞いた妻は猛烈に反発したが拙い英語のためうまく反論できなかった.帰宅してから,領収書を見たら数ドル払いすぎていた.妻は日本女性の意地を見せてやるばかりにと辞書を引き引き悪戦苦闘しながら抗議の手紙を書いた.数日したら数ドルが戻って来,手紙には「私も年をとり計算を間違えるようになりました.ごめんなさい」と書いてあった.
 話は変わるが,定年退職までの4年間,私はそんな器でもないのに決選投票も同数だったため,くじ引きで決まった不本意な工学部長だった.工学部の教職員約150名,学生約800人の組織を運営するのに四苦八苦した.当時の工学部には学校教育法の改定に基づく助手定員数と身分の取り扱いにかかわる問題,工学部離れに伴う受験者数の減少と中でも私の所属する物質生命学科の定員割れ対策,前工学部長時代から持ち越された某学科内部の教員間の対立に端を発した新学科創設と理工再編にかかわる問題等一筋縄ではいかない問題が山積していた.学部自治の伝統があり,教授会の決定がなければ何事も実行されなかった.教授会出席者は80-90名,学部長の私が議長、副議長等の補佐もなく一人で会議を仕切るのが慣習だった.総論賛成,各論反対で教授会が紛糾し,3-4時間過ぎても結論が出ず次回持ち越しで臨時教授会を開いたことも何回かあった.多数決か,議長の強権発動で案件を決めれば事は簡単なのであるが,それではしこりが残り,結局後でうまくいかないことが分かっていたから,なるべく話し合いで一つの結論にまとまるよう努力した.激論が続き,興奮したある教授から「工学部長をやめっちまえ」などと言われたこともあったが,幸か不幸か不信任案が提出されたことはなかった.波乱が予想されたある時の教授会のおりには,会議室に向かうため工学部長室を出るとき,秘書のDさんから「先生,お気をつけて」などと言われたものである.大学運営にかかわる重要案件が多かったから,教授会が終わるのを待ち構えていた学長が「工学部の結論はどうなりましたか」と心配してよく学部長室に聞きに来られた.工学部から選出されている評議員の教授数人には相談にのってもらうため,たびたび会合を開いた.そんな折,同僚だったY教授から,「佐藤さんは打たれ強いな」とよく言われた.白いカラスのおかげか.能天気な私はほめ言葉と勝手に解釈し,自分を元気づけていた.そのY教授も亡くなられてしまいさびしい.
 今年の5月連休のことである.息子の家族と車で少し遠出をした.道路も渋滞するし,老人に運転はさせられないからと息子と嫁さんが2台の車に分かれそれぞれ運転した.カーナビにしたがって行くと渋滞に巻き込まれるので,時々わき道をいくから後についてくるようにとの息子夫婦の約束で車は出発したが,いつの間にか後をついてくるはずの嫁さんの運転する車が見えなくなった.助手席に乗っていた私は,ふと白いカラスのことを思い出しその話をしたら,息子は「彼女は,カラスは黒いとも言いそうにないな」とぼそっと言った.よく見れば茶色の羽のも,たまにはアルビノで白いのもいるとでも言いそうだでもと思ったのだろうか.向こうの車がどこを通って来たのかわからないが,2台の車はほとんど同じころ待ち合わせ場所に着いた.我が家の女権はますます強くなっていく.