2022年3月 命拾いをした話

 80数歳まで生きてくると、あわやという場面にこれまで何回か遭遇したが、幸運に恵まれて今日まで来ることができた。これからそのような場面のいくつかを思い出すままに述べよう。 

 毎年、正月になると喉に餅を詰まらせ、救急車に運ばれ、運が悪ければ命を落とす老人の話が話題になる。私の場合は、それが餅ではなくステーキであった。

今から20数年前、ちょうど私が60歳の年、大学の短期サバテイカル制度に応募したら、運よく認められ、カナダのハリファックス市にあるダルハウジイ大学に滞在したことがある。“赤毛のアン”の作者、モンゴメリイの出身大学として知られている。この大学のリチウムイオン電池の研究で世界的に有名なJ.Dahn(ダン)教授の研究室のお世話になった。市内にアパートを借り、妻と3か月間滞在した。ある日の夕食はステーキだった。ご存じの方も多いと思うが、向こうの肉は和牛の霜降りのような柔らかい肉ではなく、厚くて固い。嚙んでも噛んでもなかなか噛み切れない。気の短い私は、少し大きいかなとも思ったが飲み込んだ。ところが、喉の途中に引っ掛かってしまった。自分ではどうにもならず目の前にいる妻に背中を叩いてもらったが肉は喉に引っ掛かったまま。幸い、餅と異なり肉の繊維のためか、完全に喉を塞ぐことはなくかすかに息はできたが、苦しかった。このままお陀仏か、ちらっと神奈川新聞の記事が頭に浮かんだ。“神大教授、喉に肉を詰まらせ、滞在先で旅死か”。声が出ないので妻に隣室の方を指さした。そこには大学生の兄妹が住んでいて、地下に据えられた共同の洗濯機の使用方法など教わり面識があった。妻が慌ててアパートを飛び出し、隣室のドアーを叩き、「アンブビュランス(ambulance),救急車!」と大声で叫ぶ声が聞こえた。運よく在室していた彼が駆けつけ、妻と同じように私の背中を後ろから持ち上げ、強く叩いたがやはりだめ。すぐ電話し、救急車を呼んでくれた。10分後か20分後かはっきり覚えていないが、医師2人を乗せた救急車が到着した。医師の一人が私の体を抱え後ろから、みぞおちのあたりを押すようにして持ち揚げたら、さすがはプロ、喉から血にまみれた大きな肉魂が飛び出し、すーと空気が入り込んで来、生き返った。この時ほどうれしかったことはなかった。お礼にと少しばかりのお金をテイッシュに包んで差し出したが、彼らはこれが仕事と決して受け取ろうとしなかった。お世話になりっぱなしだった。翌日も喉がひりひり痛かった。

 看護師の資格を持ち、長く養護教諭を務めた妻はそれ以来、夫婦喧嘩で傾城が悪くなると「私がアンビュランスという言葉を知っていたから、あなたの命が助かったんですからね」と恩着せがましく、この殺し文句を言う。悔しいが私は救急車の英単語を知らなかった。こちらも彼女の致命傷を知っているが、寅さんではないが「それをいっちゃおしまいよ」と武士の情けでじっとこらえている。