2022年9月 新型コロナウイルス罹患騒動記

新型コロナ予防ワクチンを4回接種し注意していがのに、去る8月中旬から下旬にかけ、ついに罹患してしまった。

8月17日 午後、大学1年の孫(男子)が帰省の途中、拙宅に立ち寄った。1階のマンションの入口まで迎えに行った。たった数か月の間にたくましくなった孫が、エレベータの中でちょろっと「昨日カラオケをやり過ぎて喉がちょっと痛い」と口を滑らせた。これはやばいと直ちに家から数百メートルのところにある横浜新型コロナPCR検査センターに検査に行かせた。判定結果が出るまでに数日かかる無料検査と一両日中にわかる1万円の検査があるがどちらにしようかと携帯電話が掛かってきたので、早い方がいいからとコメントした。

18。朝、検査結果、”陰性”との携帯電話が掛かってきたのでほっとした。その旨、春日部に住んでいる息子に知らせると、彼は早く子供に会いたいのか、車で横浜まで迎えに来た。我々夫婦も息子たち親子と一緒に春日部に行った。その日は孫の大学生活の話など聞き、楽しく過ごした。

19。朝、どうも喉が少し痛い。妻も同じという。これはやられたかなと直ちに横浜に帰宅し、孫と同じところでPCR検査を受けた。

20日。朝、私、妻ともに喉が痛く、体温は37℃でだるかった。昼頃二人とも“陽性”との知らせがあり、29日まで外出をしないようにとのことであった。楽しみにしていた「阿」の会の句会には欠席のことを知らせた。息子から電話で彼も簡易キットで“陽性”、彼の奥さんと孫は依然“陰性”、受験を控えた高校3年生の妹も陰性とのことだった。そこで息子は奥さんと子供たち2人への感染を避けるため、横浜の我々のところにやってきた。ありがたいことに、食料は車で30分位のところに住む娘が調達してくれた。

21日。妻ともども終日、体温37.2℃、身体がだるく、時々咳が出た。朝、息子の奥さんも陽性になったとの電話があった。そこで、息子は用心しつつ、車で奥さんを迎えに行き、子供たちだけ自宅に残ることにする。息子夫婦もあちらで保存していた肉、野菜等の食料を持ってきてくれた。二人とも体温37.1-2℃。4人と犬が狭い横浜のマンションでしばらく住むことになった。

日中、中区役所健康福祉課から症状の問い合わせの電話があった。さらに、29日まで、自宅滞在、最後の3日間、37.5℃以上の熱があれば自宅療養は延期、異常なければ以後外出可能。間もなく血液中酸素濃度を調べるパルスメーターが宅急便で送られてくるので、朝、昼、晩と計測するようにとの指示。その他 体調が悪化した場合はコロナ119へ電話するように、数値が96%以上ならOK、93~95は要注意、それ以下なら、直ちに緊急連絡先にする連絡するように、その他相談事は療養サポート窓口に連絡するようにとそれぞれの電話番号を教えてくれた。

 22日。県から血液中酸素計測用のパルスオキシメーターが届いた。ピンチコックで右手人差し指を挟み、計器のスイッチを押すと数秒で血液中の酸素濃度が表示されるという優れものである。私の値は98、妻はちょっと低くて94ですれすれセーフ。発病4日目のこの頃には、もう私も妻も平熱、以後、毎日36℃前後を推移した。ただ、時々二人とも、時々咳が出、喉がいらいらした。

 また、この日から毎日、私には午前、妻には午後から、自動電話が掛かってくるようになった。「体温は37℃以上か。はいか、いいえで答えよ。パルスオキシメーターの値を答えよ。値が93以下なら直ちに緊急連絡先に電話するように」。この電話は29日まで続いた。

 23日。我々2人と息子の体温は平熱、若干の倦怠感。彼の奥さんのみ38℃。パルスオキシメーターの値は私は97~98、妻は93~94だった。

24日。県から、宅配便で2人の食料が8日分届いた。大きな段ボール箱の中にカップラーメン、温めればよいだけの白米ごはん、各種缶詰、林檎ジュース、粉末のお茶、ゼリー状のビタミン補給剤、ビスケット、る、テイッシュペーパー等々が入っていた。ありがち事である。この日の4人の症状は23日とほぼ同じ。

 25日。この日、息子と私が簡易キットで陰性になった。娘が買い物をし、食料を届けてくれた。家に入ることなく、玄関の外にそれらをおいていった。

 26日。妻も陰性になった。息子の奥さんも平熱になった。

 27日。3人の体調はほぼ平常。息子の奥さんは未だ陽性。

 28日。息子の奥さんが陰性になった。10時ころ、彼らと犬は春日部の自宅に戻っていった。これでようやく、我々の日常に戻った。

 29日。指定されたこの日まで謹慎。それにしても長いような、短いような10日間であった。この間、退屈を紛れさせるために、元気な時には読む気の起こらなかった少し重い内容の本を数冊読むことができた。