20226月 梅の季節

 6月は梅の季節である。去る6月11日、梅の実を採取した。庭には豊後梅と名前は知らないが、白梅の咲く2本の梅の木がある。家を建てたころ、小さな苗木を植えたのが、今では樹高4-5メートルの大木になった。樹齢も40年以上になる。不思議なことに生り年と生らない年があって、今年は豊作の方であった。2本の木を合わせて10 kgほどあった。体重計で重量を測ろうとしたがビニール袋に入れた梅の陰に隠れて、目盛りが読めない。そこで、妻に体重計に載ってもらってから、梅入りの袋を持ってもらい、彼女の体重を差し引いた。体重は秘密である。この梅を三等分し、妹、娘にも分けてあげた。残りをどのように処理しようか。考えた末、煮梅、梅酒、梅ジュースにすることにした。まず、水に一晩漬けたのち、笊にあけて水をきり、表面を乾かした。一粒づつへたを取るのに時間がかかった。レシピには竹串を用いてとあるが、二、三個へたを取ると竹串の先がすぐグザグザになって使えなくなる。これではたまらないので何かないかと思案した末、バーベキュー用の鉄串を用いることにした。かなり時間を掛け、ようやくへたを取り終えた。

 まず、煮梅を作ることにした。ネットで見つけたレシピに従って、秤量した梅を鍋に入れ、表面を覆うまで水を入れ小さな炎のガスで熱した。しばらくすると梅の表面に小さな泡がつく。さらにガスの炎を小さくして10分間加熱したのち、表面に沢山浮いた泡を取り去るため流水で洗う。再び、水を入れて同じことを3回繰り返すとあるが、この辺から様子がおかしい。梅の皮が剥け果肉が飛び出したものもある。ほとんどすべての梅の皮が剥けてしまった。これでは煮梅どころではない。仕方がないのでジャムにすることにした。ビニール手袋をはめ、崩れた梅を一粒ずつ握りつぶしながら中の種を取り出し、皮と果肉だけにし、これに適当量の水と砂糖を加えて木のしゃもじでかき混ぜながら煮詰めた。程よい固さになったと判断し、火を止めた。ところが、冷えたらスプーンも刺さらないほどの固さになっていた。慌てて水を加え、もういちど柔らかかくしてようやく、見た目は良くないが、上品な酸味をおびた焦げ茶色の梅ジャムが出来上がった。

梅の皮が剥けてしまったのは、採取時期が少し早すぎて完熟する前で皮が弱かったのでないか、また、火が強すぎたためではないかと考えられる。翌日、別の木から採取した梅でもう一度挑戦した。上記の水煮を3回繰り返したのち、所定量のグラニュー糖を加え加熱したら、切腹したものも数個あったが、どうやら煮梅らしきものが出来上がった。

 梅酒、梅ジュースには作り方の上手、下手はない。熱湯でガラス瓶を消毒、乾燥後、レシピに従い、それぞれ所定量の材料を瓶に入れ、封をしたらあとはケセラセラ、1年後にどんな味のものが出来上がるか、楽しみである。

2022年5月 命拾いをした話 その3

  学生時代のことである。当時所属した化学教室の廊下には薬品棚が数個並んでいた。木製の戸棚で全面はガラス窓、中の薬品瓶のラベルもよく見えた。今と違って、おおらかな時代だった。戸棚には鍵もかかっていなかった。ある時、興味本位に眺めていたら、シアン化カリウム(青酸カリ、KCN)の瓶が目についた。好奇心に駆られ、引き戸を開けてこの瓶を取り出し、あてがわれていた研究室に持ち帰った。蓋を開けてスパチュラ(試薬を測り取るのに使用する金属製の耳かきのような匙)で猛毒といわれるこの白い粉末をほんの少し(多分1mgもなかったのでないか)掬い取り、舌先でなめてみた。粉が舌先に触れたとたん、「ガーン」と頭を殴られたような衝撃が走り、口の中は無論、体中が猛烈に焼けるように暑くなった感じがした。慌てて水道の蛇口を全開にし、口中を水で洗った。何回も口を漱ぎようやく人心地がつき事なきを得たが、その日は一日中、頭がボーとしていた記憶がある。好奇心に駆られて馬鹿なことをしたものだ。現役時代、講義時の雑談によくこの話をし、絶対にこんな馬鹿な真似はしないようにと話したものである。

 シアン化カリウムの経口致死量は成人の場合200 - 300mg /人といわれ、猛毒な化学物質であるが、分析試薬として、あるいは、金めっき等には必要不可欠の薬品である。水に溶けるとCNとKイオンに解離し、前者は金イオンと強く結合して非常に安定な金錯イオン、[Au(CN)2]を形成し、安定な金めっき浴となる。このめっき浴に代わるノーシアンめっき浴の開発研究もおこなわれているが、シアン浴に完全に置き換わるまでには至っていないようである。現役時代、私たちもこの研究に取り組み、チオ尿素金錯体を用いるめっき浴である程度の成果を得たが実用化にまでは残念ながら至らなった。

2022年4月 命拾いをした話 その2

 

 次は爆発事故の体験である。私の卒業研究テーマは「アコペンタアンミンクロム(III)錯イオン([Cr(H2O)(NH3)5]3+)の電極反応機構」だった。そのころ、先輩のEさんのヘキサアンミンクロム(III)錯イオン([Cr(NH3)6]3+)の電極反応機構の論文がNature誌に掲載され、研究室の士気が上がっている頃であった。指導教官の田中信行先生はクロム原子に配意しているアンモニア分子6個の内、1個を水分子に置き換えた[Cr(H2O)(NH3)5]3+では反応機構がどのように変化すかと考えられたようである。これらの錯イオンを含む塩には塩化物、硝酸塩、過塩素酸塩などが存在するが、塩化物イオン(Cl)などの水銀電極(電極反応は滴下水銀電極を使用するポーラログラフィで検討) への吸着を避けるため、最も水銀電極への吸着が少ない過塩素酸イオン(ClO4)との錯塩である

[Cr(H2O)(NH3)5](ClO4)3を合成し、検討することになった。この物質が正しく合成されているかを同定することは、現在では多くの分析機器が存在し、いとも容易であろうが、今から60年ほど前は重量分析法が主な手段であった。そこで、合成したつもりの[Cr(H2O)(NH3)5](ClO4)3が果たしてこの組成通りに合成されているかを確かめるため、重量分析を行うことにした。クロムの分析は、一般に目的物を高温で焼き、酸化クロム(Cr2O3)に変えて、その重量を秤量すると分析化学の本にあったので、そのようにすることにした。教授室の金庫に厳重に保管されている白金るつぼを借りだし、これに合成した上記錯塩を10mgほど正確に秤量して入れ、電気炉で加熱していった。当時は現在のような電子天秤もなく、いまでは骨董品としてどこかに眠っている弥次郎兵衛式の化学天秤で目的物を秤量するのに数分かかった。

 電気炉に接続していたパイロメーター(高温温度計)の針が300℃くらいを示したとき、「ピョン」と爆鳴気を点火した時のような破裂音がした。電気炉の素焼きの蓋を取ってみたら、白金るつぼに被せた蓋が裏返しになっていた。錯塩が分解し、放出されたアンモニアガスでるつぼ内の圧力が急に高まり、そのために蓋がひっくり返ったのだろうと考えて、もう一度、錯塩を秤量し、加熱を始めた。パイロメーターの針が300℃くらいになったとき、先ほどはこの温度付近で音がしたんだったなと思ったとたん「ドカーン」と大きな音を立て爆発が起こった。しばらくは茫然自失の状態だったようだ。この時、実験室には自分ひとり、隣室におられた助教授の玉虫怜太先生と助手の佐藤弦先生が、学生実験室の方で何かあったかと廊下をものすごい勢いで走って行かれた。私は気を取り直し、爆発によって周囲に飛び散った白金るつぼの白金片を床を這いずり回ってピンセットで集めた。直径20cmくらいの円筒形の電気炉は周りに鉄の箍(たが)がはめられ、ニクロム線が埋め込まれているので周囲にはじけるように割れることはなかったが、底が抜けるとともに、素焼きの蓋が砕けて飛び散り、一部は天井に突き刺さっていた。灰色の破片は天井の壁の色に紛れてよく見なければわからないが、今も残っているのではないか。あるいは改装されているか。当時の赤レンガで覆われた化学教室の建物は今は東北大学本部として使われている。3g近くあった白金るつぼは破片を集めても2gくらいしかなかった。佐藤先生がうまくとりなしてくださったのだろう。田中先生かは何のお咎めもなかった。るつぼは国家財産であるから、多分始末書を書かれたはずである。過塩素酸塩や塩素酸塩が有機物などとともに加熱され、還元性雰囲気になると爆発することは薄々知っていたが、アンモニアが還元性雰囲気をつくりだし、有機物と同じように爆発するということは知らなかった。もし、あの時、電気炉の方に身を乗り出していたら、顔面に素焼きの破片が突き刺さり、多分命はなかったのではないかと思ったら、震えが止まらなかった。

2022年3月 命拾いをした話

 80数歳まで生きてくると、あわやという場面にこれまで何回か遭遇したが、幸運に恵まれて今日まで来ることができた。これからそのような場面のいくつかを思い出すままに述べよう。 

 毎年、正月になると喉に餅を詰まらせ、救急車に運ばれ、運が悪ければ命を落とす老人の話が話題になる。私の場合は、それが餅ではなくステーキであった。

今から20数年前、ちょうど私が60歳の年、大学の短期サバテイカル制度に応募したら、運よく認められ、カナダのハリファックス市にあるダルハウジイ大学に滞在したことがある。“赤毛のアン”の作者、モンゴメリイの出身大学として知られている。この大学のリチウムイオン電池の研究で世界的に有名なJ.Dahn(ダン)教授の研究室のお世話になった。市内にアパートを借り、妻と3か月間滞在した。ある日の夕食はステーキだった。ご存じの方も多いと思うが、向こうの肉は和牛の霜降りのような柔らかい肉ではなく、厚くて固い。嚙んでも噛んでもなかなか噛み切れない。気の短い私は、少し大きいかなとも思ったが飲み込んだ。ところが、喉の途中に引っ掛かってしまった。自分ではどうにもならず目の前にいる妻に背中を叩いてもらったが肉は喉に引っ掛かったまま。幸い、餅と異なり肉の繊維のためか、完全に喉を塞ぐことはなくかすかに息はできたが、苦しかった。このままお陀仏か、ちらっと神奈川新聞の記事が頭に浮かんだ。“神大教授、喉に肉を詰まらせ、滞在先で旅死か”。声が出ないので妻に隣室の方を指さした。そこには大学生の兄妹が住んでいて、地下に据えられた共同の洗濯機の使用方法など教わり面識があった。妻が慌ててアパートを飛び出し、隣室のドアーを叩き、「アンブビュランス(ambulance),救急車!」と大声で叫ぶ声が聞こえた。運よく在室していた彼が駆けつけ、妻と同じように私の背中を後ろから持ち上げ、強く叩いたがやはりだめ。すぐ電話し、救急車を呼んでくれた。10分後か20分後かはっきり覚えていないが、医師2人を乗せた救急車が到着した。医師の一人が私の体を抱え後ろから、みぞおちのあたりを押すようにして持ち揚げたら、さすがはプロ、喉から血にまみれた大きな肉魂が飛び出し、すーと空気が入り込んで来、生き返った。この時ほどうれしかったことはなかった。お礼にと少しばかりのお金をテイッシュに包んで差し出したが、彼らはこれが仕事と決して受け取ろうとしなかった。お世話になりっぱなしだった。翌日も喉がひりひり痛かった。

 看護師の資格を持ち、長く養護教諭を務めた妻はそれ以来、夫婦喧嘩で傾城が悪くなると「私がアンビュランスという言葉を知っていたから、あなたの命が助かったんですからね」と恩着せがましく、この殺し文句を言う。悔しいが私は救急車の英単語を知らなかった。こちらも彼女の致命傷を知っているが、寅さんではないが「それをいっちゃおしまいよ」と武士の情けでじっとこらえている。

2022年2月 図書館

 現役の頃は毎月本代として一万円ほど使っていた。本棚に入りきらない本が部屋中に溢れ、妻からは「地震で本棚が倒れ下敷きになっても知りませんよ」などと脅かされていた。定年を機に少し倹約し、どうしても欲しい本以外は図書館を利用しようと考えた。横浜市立中央図書館は拙宅から徒歩で往復、約8,000歩、散歩にも程よい距離の野毛山にある。動物園にも近い緑に囲まれた丘の中腹に煉瓦で覆われたどっしりと建つ落ち着きのある建物である。市民なら1回6冊まで本を借りることができる。妻名義の図書カードと2枚発行してもらった。これで12冊まで、2週間借用できる。リュックサックを背負って1か月1、2回通っている。これまでどのくらい借りていたのであろうか。借りだした書籍名をもとにざっと数えてみると12年間に1400冊以上になっていた。下種な話であるが、文庫本も単行本も均して1冊1000円とすると140万円にも達する。文庫本書下ろしが専門の有名な某時代小説作家は本が売れなくなったと嘆いていた。そうであろう。スマホ、ゲームに夢中の若者は本を読まなくなったし、老人も年金を書籍代に廻すほどの余裕も無くなり図書館の利用者が多くなった。昨今の住宅事情で自宅に本棚などを置くスペースもなくなった。図書館は小説類の購入冊数を制限すべきであるといった意見をどこかで見たことがある。作家にとって、本が売れないのは死活問題であろう。

 目的の本が貸し出し中の場合は予約でき、返却されるとメールで知らせが来る。ある時、書名は忘れたが、10人以上の先約があり半年以上待たされ,予約したのを忘れたころに知らせがあった。一冊の本が何十人もの人に読まれるのはその本にとっては幸せであろうが、これでは本が売れないわけである。

 市町村の財政がひっ迫し、図書館が廃統合されたり、図書関係予算が削減されていることも大きな原因であろう。神奈川県立高校の年間図書費はいくら位と思われるであろうか。少し古いデータであるが、2019年時点でなんと1校当たり、たった14万円である。その後少しは増額されたとのことであるが、それにしても少なすぎる*)

5、6年前、4人の孫たちに、1人、毎月3000円以内で、マンガ本と勉強関係の本以外、どんな本を買ってもよいという条件で、レシートと引き換えに本代を与えることにした。後者は親の責任であると思うからである。その孫たちも大学生や受験生となり、こちらの年金も年々心細くなってきたので昨年あたりから自然消滅した。

 少し自慢話になるが、私の母校、片貝小学校、中学校(新潟県小千谷市)には毎年、東京片貝会(郷土出身者の関東近辺在住者の会)から、それぞれに10万円づつ図書費を贈っている。この慣習はもう40年近く続いており、拠金は会員たちの寄付により賄われている。親子でその文庫を利用させていただいているなどという便りの届くことがある。寄付金で購われた小学校の図書には、校歌 ”洋々として流れ行く、大河信濃の水清く・・・“ に因み「洋々文庫」と名付けられた。他校から転任してこられた先生方は両校の図書館に図書の多いことに驚かれるという。毎年、東京片貝会総会の折に図書費贈呈を行っており、その際、両校の校長が上京され、母校の子供たちの様子を話される。

 図書館から借りる本はほとんどが小説、それも芥川賞作家の書くような純文学ではなく直木賞作家系統に代表されるエンターテイメント小説である。図書館の入口には、昨日返却された図書がそのまま借りられるような棚が設けてあり、ここから見つけた本にはあたりが多い。中には哲学や宗教関係の本なども見かけるが、このような書を借りるのはどんな人か、偉いもんだと思う。

 頻繁に借りる好きな作家を順不同に挙げると大沢在昌今野敏東野圭吾佐々木譲澤田ふじ子宇江佐真理逢坂剛、高田郁、五木寛之山本一力乃南アサ佐伯泰英堂場瞬一中島京子あさのあつこ池井戸潤恩田陸浅田次郎川上弘美等々、きりがない。少し硬い作家、エッセイストでは須賀敦子藤原正彦塩野七生、内田洋子、佐藤優藤原正彦磯田道史等。プレデイみかこは非常に賢い、感度の高い人だ。武田百合子の「富士日記」は何度読んでも面白い。70代、80代の人達にはどうか長生きして書き続けて欲しいと思う。外国の作家がないのは、カタカナ表現の人名を覚えられないこと、昨今はそれほどでもなくなったが翻訳文に特有のぎこちない文章表現が肌になじまないからである。若いころはむしろ、日本の作家は無視し、欧米の小説類に夢中になった。著名な海外作家の推理小説類もずいぶん読んだ。若さの勢いか、硬直な文章表現も気にならなかった。それが年とともに感情移入が困難になり、避けるようになったのである。

 最近は記憶力も衰え、登場人物が5人以上の小説はその名前、役わり等覚えきれず、読むのが億劫になってきた。本の初めに登場人物の名前、位置づけ等のリストの載っているのは非常にありがたい。同一の本を2回借りてくることも時々ある。ページも残り少なくなってから、なんだか既視感があって、話の展開が予想着くようになり、慌てて既読書名のリストを見ると載っているのである。段々その頻度も多くなることであろう。年を取るとはこういうことか。それでも、未だ巡り合えていない面白い小説に出会いたいと思う。

*大山奈々子、「阿」、第3号、p.16 (2019).

2022年1月 日曜日の朝

 

 現役時代、もっとものんびりできるのは土曜日の午前中だったが、退職後はいつの間にやら、それが日曜日の午前になり、週中最もテレビをゆっくりと長く見る時間帯になった。ラジオ体操から戻ると朝食の準備、食事は7時過ぎ、食器洗い等後片付けの終わるのが7時45分過ぎ、テレビではNHK 1チャンンルで「さわやか自然百景」が始まっている。ソファーにどっぷりと腰を下ろし、これを見る。妻の好きな番組で、自分もこれに付き合う。その季節の植物、動物の生態や鮮やかな自然の風景を見せてくれる。カメラワークが素晴らしい。NHKは撮影にずいぶんお金をかけていると思う。これを4K、もしくは8Kの大型TVで見たらさぞかし見事であろうと思うが、我が家ではまだ実現していない。今ので十分と妻がOKしないのである。妻に有無を言わせず購入するには、へそくりを投入するしかないがなかなか踏み切れない。

 8時からは私の最も好きな番組の一つである「小さな旅」が始まる。これまで行ったことのない、おそらくこれからも行くことのない、全国津々浦々の町や村、海、山を山田敦子アナウンサーと山本哲也アナウンサーがかわるがわる訪れ、そこで営まれている人々の暮らしの様子を見せてくれる。ごくまれに、行ったことのある町や島などが紹介されるともうかなり前のことなのにその時の様子がまざまざと思い出される。コロナ禍のためか、おっとりと心の休まる話し方をする山田アナウンサーの姿が久しく画面に現れない。25分の中で2,3組の家族を紹介されることが多い。漁業、農業、林業あるいは工業など親子代々培ってきた技術、何気なく身についている巧みな技がその人の人生も含めさりげなく紹介される。高年齢の人の場合、その後継者があり、若い人の場合は配偶者やその子供たちなどが画面に現れるとこの技術は継続され、無くならないなとほっと安心するのである。冒頭と最後に流れるテーマ音楽もいい。どこか懐かしくほっとするメロデーである。これからも長く続いてほしい。

 続いて「さらめし」、これは「サラリーマンの昼飯」の略であり、サラリーマン・OLを含め様々な職種の人たちの弁当や昼食の取り方、企業の社員食堂、亡くなった著名人の愛した昼食などが取り上げられる。番組のコンセプトは“ランチを覗けば人生が見えてくる”、ランチの裏側に秘められたエピソードをも探る番組で、中井貴一の軽妙なナレーションで番組は進行する。本来は夜の番組であるが、私は再放送のこちらを見るようにしている。弁当の中身も興味深いが、私には紹介される各職場で働く人々の仕事の内容が興味深い。知らなかったこんな場面でこんな技術が発揮され、世の中の人々の暮らしを支えているんだと知るのは気持ちの良いものである。

 9時からはNHK2チャンネルの1時間番組「日曜美術館」である。男女2人の案内役によって場面は進行するが、長く続いており、もう何代も変わった。その時々の内容によって、その道の専門家も1、2名参加、内容を深めてくれる。私はどちらかといえば、彫刻等よりより絵画が好きであるが、世界中に存在する美術館の名画、あるいは有名、私にとって無名の画家の作品とその生涯が紹介され興味深い。ことに私の限られた知識で知らなかった画家とその作品が取り上げられたときは世界が広がったようでうれしくなる。現在開催中、あるいはこれから開催予定の国内美術館の企画展が紹介されるのもいい。都内、あるいは横浜近郊なら行けるかなと手帳にメモする。1月7日から東京都美術館で開催予定だった、「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」を楽しみにしていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響のため開催日が4月に延期になった。私の好きな「窓辺で手紙を読む女」も展示される。この絵は所蔵美術館以外で展示されるのは世界で初めてだそうな。

 話はあちこちに飛ぶ。現在の司会は作家の小野正嗣氏と柴田祐規子アナウンサーである。私は20数年前、若き日の柴田アナウンサーと番組でご一緒したことがある。すっかり忘れていたが、年末、戸棚を整理していたら出てきた昔のDVDにその様子が残っていた。「なるほど経済」という番組で、“こんな所にも使われている電池”といった内容で、都内のある若い夫婦と子供3人の家庭を訪問し、いろんな機器に使われている電池を探したら、多種類の電池が200個以上も使われていたのである。その時の同道者が柴田アナウンサーだった。歩きながらの会話で、私が「毎週、いろんな異なる分野でその道の専門家と会話するのは大変ですね」と質問すると「担当の内容が決まると必死に勉強しますが、番組が終わるとすぐ忘れますからなんということもありませんよ」と軽く返された。非常に優秀な人なのであろう。「日曜美術館」でも的確な表現、鋭い質問等々にその片鱗がうかがわれる。こんな女性が職場の上長だったら少し怖いなと思う。このようにして、毎週、日曜日の午前は終わるのである。

2021年12月 死蔵される薬

 

 私はもう10年以上、イコペント酸エチル(動脈硬化改善)、シロスタゾール(血管を拡張し、血流を増す)、バルタル酸(血圧降下)など、3種類の薬を朝晩飲んでいる。血圧はほぼ安定しているので、掛かりつけの医院に行くのは3ヵ月ごと、簡単な医師の問診のあと、同じ薬を次の3か月分もらってくる。ところがどうしても飲み忘れるため、医院に行く前日残っている薬の数を数えると数日分、多い時には5日分くらい残っている。食事の後に飲むよう心掛けているのだが、旅行の際持っていくのを忘れたり、アルコールなどが入っているとどうしても飲み忘れてしまうのである。以前は医師の処方箋通りに薬局から3ヵ月分をもらってきていたが、引き出しの中に残りの薬が溜まりだした。これではいけないと医師にお願いし、残った分の数だけ差し引いた日数分を処方箋に書いてもらうようにしている。ところが、不思議なことに同時に飲まなければならないのに、薬によって残りの数が異なるのである。自分では同時に飲んでいるつもりでも無意識のうちに忘れてしまうらしい。これではいけないと食卓に飲む分だけを並べるようにしているのだが。

 妻は乳がんを患ったこともあって6種類もの薬を飲んでいる。私と同様に飲み忘れた薬が引き出しの中にどんどんたまっていく。医院に行く前に残りの日数分を数え、それを差し引いてもらってくるようにと言っているのだが、数え忘れたり、医師に言いそびれ処方箋に記載される日数分のまま、薬局からもらってくるのである。このようなことは我が家だけでなく、全国いたる家庭で起こっているのではあるまいか。おそらく飲まれぬままに膨大な量の薬が戸棚や引き出しなどに眠っていることであろう。資源の無駄遣いである。薬には食料品の賞味期限のように薬効の有効期間があるのだろうか。多分あるとしても、生鮮食料品よりはるかに長いと予想される。この死蔵されている薬を有効に活用する方法はないのであろうか。私が癌検査等でお世話になっているみなと赤十字病院で、待ち時間に暇に任せて待合室の壁の張り紙を眺めていたら、その中の一枚に「飲み残して余っている薬がありましたら医師にご相談ください」といった趣旨の文言が印刷されていた。そのあとどうするのか気になっているが未だ、訊ねていない。良心的な薬局があって、常連には「飲み残しの薬がありませんか」と尋ね、残り分だけ差し引き患者に渡すようにすればよほど死蔵される薬の量は減るのではあるまいか。最も、医師の指示した処方箋の日数分が優先されるだろうから、薬剤師が勝手にそのようなことをするのはルール違反であり、問題視されるであろう。

偶然、TVを見ていたら、今、薬局で薬の品不足が起こっており、その種類は全品種の20 %にも及んでいるとか。その原因は数か月前、某薬品会社の製造品にあってはならない睡眠薬が混入し、事故が発生、薬品製造停止となり、会社は倒産に至った。その影響が国内他社全体に及び、不足薬品の回復に2,3年かかるとか。死蔵されている薬品の出番ではないだろうか。