2022年1月 日曜日の朝

 

 現役時代、もっとものんびりできるのは土曜日の午前中だったが、退職後はいつの間にやら、それが日曜日の午前になり、週中最もテレビをゆっくりと長く見る時間帯になった。ラジオ体操から戻ると朝食の準備、食事は7時過ぎ、食器洗い等後片付けの終わるのが7時45分過ぎ、テレビではNHK 1チャンンルで「さわやか自然百景」が始まっている。ソファーにどっぷりと腰を下ろし、これを見る。妻の好きな番組で、自分もこれに付き合う。その季節の植物、動物の生態や鮮やかな自然の風景を見せてくれる。カメラワークが素晴らしい。NHKは撮影にずいぶんお金をかけていると思う。これを4K、もしくは8Kの大型TVで見たらさぞかし見事であろうと思うが、我が家ではまだ実現していない。今ので十分と妻がOKしないのである。妻に有無を言わせず購入するには、へそくりを投入するしかないがなかなか踏み切れない。

 8時からは私の最も好きな番組の一つである「小さな旅」が始まる。これまで行ったことのない、おそらくこれからも行くことのない、全国津々浦々の町や村、海、山を山田敦子アナウンサーと山本哲也アナウンサーがかわるがわる訪れ、そこで営まれている人々の暮らしの様子を見せてくれる。ごくまれに、行ったことのある町や島などが紹介されるともうかなり前のことなのにその時の様子がまざまざと思い出される。コロナ禍のためか、おっとりと心の休まる話し方をする山田アナウンサーの姿が久しく画面に現れない。25分の中で2,3組の家族を紹介されることが多い。漁業、農業、林業あるいは工業など親子代々培ってきた技術、何気なく身についている巧みな技がその人の人生も含めさりげなく紹介される。高年齢の人の場合、その後継者があり、若い人の場合は配偶者やその子供たちなどが画面に現れるとこの技術は継続され、無くならないなとほっと安心するのである。冒頭と最後に流れるテーマ音楽もいい。どこか懐かしくほっとするメロデーである。これからも長く続いてほしい。

 続いて「さらめし」、これは「サラリーマンの昼飯」の略であり、サラリーマン・OLを含め様々な職種の人たちの弁当や昼食の取り方、企業の社員食堂、亡くなった著名人の愛した昼食などが取り上げられる。番組のコンセプトは“ランチを覗けば人生が見えてくる”、ランチの裏側に秘められたエピソードをも探る番組で、中井貴一の軽妙なナレーションで番組は進行する。本来は夜の番組であるが、私は再放送のこちらを見るようにしている。弁当の中身も興味深いが、私には紹介される各職場で働く人々の仕事の内容が興味深い。知らなかったこんな場面でこんな技術が発揮され、世の中の人々の暮らしを支えているんだと知るのは気持ちの良いものである。

 9時からはNHK2チャンネルの1時間番組「日曜美術館」である。男女2人の案内役によって場面は進行するが、長く続いており、もう何代も変わった。その時々の内容によって、その道の専門家も1、2名参加、内容を深めてくれる。私はどちらかといえば、彫刻等よりより絵画が好きであるが、世界中に存在する美術館の名画、あるいは有名、私にとって無名の画家の作品とその生涯が紹介され興味深い。ことに私の限られた知識で知らなかった画家とその作品が取り上げられたときは世界が広がったようでうれしくなる。現在開催中、あるいはこれから開催予定の国内美術館の企画展が紹介されるのもいい。都内、あるいは横浜近郊なら行けるかなと手帳にメモする。1月7日から東京都美術館で開催予定だった、「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」を楽しみにしていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響のため開催日が4月に延期になった。私の好きな「窓辺で手紙を読む女」も展示される。この絵は所蔵美術館以外で展示されるのは世界で初めてだそうな。

 話はあちこちに飛ぶ。現在の司会は作家の小野正嗣氏と柴田祐規子アナウンサーである。私は20数年前、若き日の柴田アナウンサーと番組でご一緒したことがある。すっかり忘れていたが、年末、戸棚を整理していたら出てきた昔のDVDにその様子が残っていた。「なるほど経済」という番組で、“こんな所にも使われている電池”といった内容で、都内のある若い夫婦と子供3人の家庭を訪問し、いろんな機器に使われている電池を探したら、多種類の電池が200個以上も使われていたのである。その時の同道者が柴田アナウンサーだった。歩きながらの会話で、私が「毎週、いろんな異なる分野でその道の専門家と会話するのは大変ですね」と質問すると「担当の内容が決まると必死に勉強しますが、番組が終わるとすぐ忘れますからなんということもありませんよ」と軽く返された。非常に優秀な人なのであろう。「日曜美術館」でも的確な表現、鋭い質問等々にその片鱗がうかがわれる。こんな女性が職場の上長だったら少し怖いなと思う。このようにして、毎週、日曜日の午前は終わるのである。