2019年4月 俳句講座

20194月 俳句講座
 
 昨年夏より俳句を始めたことは前に述べたが1), 一人よがりでは上達しないと考え,去る10月から神奈川大学生涯学習・エクステンション講座「入門俳句実践講座・新初歩の初歩」を受講している.講師は本学名誉教授・復本一郎先生である.先生は国文学者として著名な方で,神奈川大学が主催する,もう21年も続いている“神奈川大学全国高校生俳句大賞”の企画発起人でもある.講座は月2回開かれ,190分で講義と句会が交互に行われる.受講生は25人,男性12面,女性13名で後者の方が多い.第1回目の開講日に恐る恐る出席したところ,新人は私1人,あとは1年以上,中には7,-8年続いているベテランもおられた.受講希望者が多く,なかなか空きがないのだそうな.私は本学OBということで情状酌量されたのかもしれない.講義の方は正岡子規著「獺祭書屋俳話,芭蕉雑談」(岩波文庫) をテキストに先生が解説される.このテキストには復本先生の詳細な注解・解説が付いている.句会の方は前回最高得票者の指定する季語を使用するか自由題で3句提出し,その後無記名にした75句から,各人が良いと思う句3句を投票,票数を数えるのである.これとは別に先生が“師選”として数句を選定され〇印が,最も優れた句には◎印が付く.このあと,それぞれの句の作者が名乗りを上げる.この後,先生や出席者の辛口の批評が行われる.第1回目の句会の時,自作3句の内,師選に2句,2句に得票が各1票づつ入って少し安心した.中には同一句に8票も得票する人がいる.3月に修了したこの下期の句会の内,私の最高得票句は4票だった.興味深いのは最高得票句でも師選の〇印の付かない句のあることである.それだけ,俳句には多様性があり,各人の感度が異なるということか.3月末,有志の方の好意で1年間の成果をまとめる俳句集が作られた.これには各人が自信作18句を提出した.句集の1ページ目には復本一郎選・優秀作品,一席から三席までと佳作10句が印刷されていた.大変うれしいことに,ビギナーズラックか,私の句,“八月はさびしき月ぞ西瓜食ふ”が一席だった.
 俳句に関わる別の話,去る310神奈川大学で“第二十一回神奈川大学全国高校生俳句大賞”授賞式が行われた.応募作品数は万を超えた.選者は復本先生の他,宇多喜代子(読売俳壇選者),大串 章(朝日俳壇選者)長谷川櫂(朝日俳壇選者),黛 まどか(俳人)6人,現在の我が国を代表するそうそうたる先生方である.表彰式に引き続き,シンポジウム“俳句と虚構-―文学としての俳句”が行われた.小説は大部分がフィクション,虚構である.俳句が文学として成り立つために虚構は是か非かという面白いパネルデイスカッションが行われた.結論は4人が虚構を是,1人は非というものだった.蕪村の有名な句に“身にしむやなき妻の櫛(くし)を閨(ねや)に踏む”があり,蕪村が亡くなった妻を悲しんでいるように見える句であるが,実際は妻のともの方が31年も長生きし,臨終の際,自分を蕪村墓所に葬るよう遺言したという.写生句を唱えた子規も空想を大いに推奨している.非常に愉快なことがあった.最優秀受賞作品に選ばれた和歌山県の某高校の女生徒作の3句のうち1句目は父親が重い病気にかかり話もできなくなった.メールの文字も打てない,会話はスマホの絵文字のみである.2句目は父はやせ細り,その手が白くなって母の手に似てきた.3句目は父の湯灌(ゆかん)も終わり,父が丹精して栽培したりんごを食べるというもので5人の選者は絶賛した.ところが父親は元気でピンピンしていることが判明し,見事に選者たちは騙された.恐るべき女性が現れたものである.俳句でもあるいは作家などでもよいが,大成してほしいものである.
 俳句を始めて変わったのは,季節の移り変わりに敏感になったこと,言葉使いの細かいところまで気になるようになったことである.いつまで続くか,佳句がなかなか作れない.上記の句会などで他人の句の選句や師選の句などはかなり自分の判断と一致するのだが,自作となるといいのか悪いのか判断できない.自信作と思ったのに一票も入らなかったり,期待しなかった句が思いがけず選ばれたりする.自分自身を客観的に評価するのは難しいものである.
 1)201810