2022年10月 パルスオキシメーターの発明者

 

 去る8月、新型コロナウイルスに感染した折、パルスオキシメーターには大変お世話になった。この装置は動脈血中の酸素飽和濃度(ヘモグロビンがどの程度酸素と結びついているか)を、採血なしで連続的に測定される装置で、具体的には右手親指先にクリップを挟むと数秒後に飽和酸素濃度(SpO2)が表示されるという優れものである。保健所からは、この値が96%以上なら安全、93~95は要注意、それ以下なら直ちに救急センターに連絡するようにとの指示だった。肺炎重症度診断に欠かせない装置で、この装置のお陰でどのくらい多くの人の命が救われたことか。

 ところで、このパルスオキシメーターが日本人の発明だということはあまり知られていないようである。この装置の測定原理は1974年、日本エム・イー学会(現日本生態医学工学会)で日本光電の技術者だった青柳卓雄氏(1936-2020)が発表し、日本語で論文にされている1), 2)。氏は1972年に原理を考え付き、1974年に特許申請後学会発表されたとか。誇らしいことに青柳氏は私の母校、新潟県立長岡高校の3年先輩でもあり、新潟大学工学部を卒業後、島津製作所を経て日本光電に入社された。

 青柳氏とほぼ同時期にミノルタカメラの山西昭夫氏が同様の原理を用いた装置を「オキシメーター」の名前で特許出願している。不思議なことに、両氏は全く交流がなく、それぞれ独立に発明に至ったようだ。私にもいくつか覚えがあるが、同業他社とほぼ同じ内容の特許が一か月以内、きわどい時は一週間の違いで特許公報になったことがある。よほどの天才ならいざ知らず、人の考えは似たり寄ったりで、同一分野における研究開発のスピードは似たようなものであろうか。したがって思いつくことも機が熟するように、おのずから、全く没交渉でも似てくるのであろう。

 1975年、中嶋進医師が、世界で初めて、パルスオキシメーターを使用した論文を発表、ここまでは日本が先頭を走っていた。1970年代後半、日本光電とミノルタカメラはパルスオキシメーターの販売を開始、ミノルタ社製のパルスオキシメーターを眼に付けたのが、スタンフォード大学のNew医師(Dr.W.New Jr,19442-2017)で、この装置を使えば麻酔をかけた患者のSpO2が簡単に測定でき、麻酔事故が劇的に減ると考えた。彼は麻酔医を辞め、ネルコア社を設立して、パルスオキシメーターの改良を行った。この装置は使いやすいこともあって、世界中に広まった。彼の予想は的中し、劇的に麻酔事故は激減、そのためかパルスオキシメーターは長らく米国人の発明と思われていた。青柳氏の論文は日本語だったが、この論文を英訳して世界中に紹介したのはカリフォルニア大学麻酔科の教授、スバリングハウス(Severinnghaus JW et al, J.Clin. Monit., Vol.3, No.2,pp.135-138,1987)である。

 その原理を簡単に述べる。血液中のヘモグロビンが酸素と結合すると“鮮やかな赤色”を示す。酸素が少ないと黒っぽくなる。青柳氏は血液の赤さの度合いを調べればSpO2がわかると考えた。パルスオキセメーターには普通の赤い色の光(1)と赤外線(2)を発する二つの光源がある。赤色光は動脈血の色で透過性が変わるが赤外光の透過性に変化はない。そこで(1)と(2)の透過度を比較すれば酸素飽和度がわかることになる。これがこの装置の原理である。

 この装置は麻酔事故を防ぐのみならず、呼吸器系の病気の診断には欠かせず、今回のコロナ渦でも大活躍しているわけである。そのほか、未熟児網膜症という病気もこの装置のお陰で激減したという。多くの人命を救ったパルスメーターの発明者、小柳氏はノーベル賞候補に挙がったというが、残念ながら1920年逝去された。もう少し長生きして欲しかったと思うばかりである。これからもパルスメーターは多くの人命を救うことであろう。