子供の四季  十一月

子供の四季  十一月
  大菊作り
♪・・・・気高く清く匂う花・・・・“ もうこんな歌は聞かれなくなったが、秋が来ると思いだす。菊の花を歌った歌である。当時住んでいた寺町の家の近くに桐箪笥屋があって、店先で行われている箪笥作りをあきもせずよく眺めていたものである。ご飯粒を木のへらで板に押しつぶすように練ってそくえ()を作り、これを桐板の側面に塗り、木釘を打つと面白いように箪笥の箱が出来上がっていった。ここのおじいさんが大菊を作っておられた。4月ころ、昨年咲いた大菊の根元から吹きだした芽を数cm、鋭利な剃刀の刃で斜めに切り落とし、これを湿った砂地に挿しておく。一か月くらい、日陰におくと白い根が切り先から伸びだし、芽も成長を始めると小さな植木鉢に植え替えである。こんな植え替えの最中に行ったのだろうか。「おまえさんも作ってみないか」と言われ、数本の苗をいただいてきた。小学4, 5年のころである。小さな植木鉢に植え替え、一か月くらい経ったころ、直径15cmくらいの中鉢に植え替える。土は腐葉土である。近くの雑木林から取ってきたのだろうか、もう忘れてしまった。肥料は油粕だったように思う。また1カ月くらい経ち、背丈が15 cmくらいになったとき、本格的に直径30 cmくらいの十号鉢に植え替える。これで秋の開花時まで育てるのである。3本立ては未だ難しかったから、1本立てにし、鉢の中心部に細い竹の支柱を立て、これに菊の茎をチョマ(イラクサ科の多年草の茎の繊維)で縛り付け倒れないようにした。脇芽は摘み取り、3鉢位を大切に育てた。夏は毎日、夕方水やりをした。台風の時は玄関の土間に取り込んだ。ときどき、DDTで消毒した。茎の下の方の葉を枯らさないようにするのが難しかった。9月頃になると芽の先の中心部に小さな蕾がのぞく。この蕾を見つけた時はうれしかった。10月中旬、花芽が3-4 cmになったころ、細い針金を渦巻状に水平にまき直径15 cmくらいの輪を作り蕾の際に取り付けた。菊が咲いた時、花弁が垂れないようにこの輪台で支えるのである。その取り付け作業には細心の注意が必要だった。取り付け時、ちょっと無理をすると半年かけて苦心して育ててきた蕾をぼろっと折ってしまうのである。ある年の秋、もう少しで咲こうという蕾を弟が折ってしまった。好奇心に駆られて蕾をいじっているうちに折れたのであろう。犯人が弟とわかった時、思わず弟の頭にげんこつをくれた。もう、60年も昔のことであるが、弟は今でもあの時のげんこつは痛かったと言っている。直径20 cmくらいの大菊が見事に白い花弁を開いたときはうれしかった。誇らしくて玄関先に飾ったものである。中学校に行ってからは忙しくなって、菊作りを止めてしまったが、当時の教頭の本田寅一郎先生が学校の庭で大菊を作っておられた。ときどき、私は菊鉢の水やりの手伝いをした。生徒たちは、”ほんとら“とあだ名していた怖い先生だったが、こんな一面もあったのである。
 
  大根洗い
11月も中旬ころになると大根の収穫が始まる。当時、我が家でも大根を作っていた。畑から抜き取った2-30 本の大根を家の前の小川を堰きとめて、ここで大根洗いの手伝いをした。まだ、ゴム手袋などはなかったから、素手で亀の子たわし代わりとしてへちまや藁(わら)を丸めたもので大根にへばりついた土を洗い流すのである。小川に沿って、数十メートルおきに小川を堰きとめて、近所の人たちも皆大根洗いに精を出した。冷たい水で手が真っ赤になった。洗い終わった大根の一部は沢庵漬けにするため、葉の部分を切り落とし数本ごと藁で、すの子のように縛って軒につるして干した。残りは軒下で、近くの松林からかき集めた松葉の中に埋めた。この松葉の上に雪が降り積もっても大根は腐ることなく、春までみずみずしさを保ち、大切な食糧の一つになった。