2015年4月 釜山(プーサン)の風景

20154月 釜山(プサン)風景
 
 去る3月中旬,出席者が200人ほどの材料に関する小さな国際会議が韓国,釜山の国際展示場で開かれたので出席した.気候は横浜とほとんど同じで,空港から繁華街にあるホテルまでのリムジンバスからは白木蓮や桜(たぶん)の咲いているのが見えた.ハングル文字さえ目に入らなければ,横浜の風景とほとんど変わらないことに驚いた.この印象は私だけのものではなく,日本から参加の知人に聞いても同じであった.韓国人の顔つきも日本人とよく似ている.私などは中国やフランスに行った時よく「Are you a Korean?」と尋ねられる.10数年前,私の研究室に博士研究員として滞在された李博士(現在,Chonnam 国立大学教授)とは兄弟かといわれた.我が家のルーツは朝鮮だと亡くなった父から子供のころ聞いたような記憶がある.親近感と近親憎悪は紙一重,かっての我が国の韓国に対する過酷な政策が尾を引いて,昨今の韓国と日本との緊張した関係は誠に残念なことである.
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もう退職して5年も過ぎ,悲しいかな,何が何でも最先端の情報を入手しようという気力も希薄になったから,25分ほどの講演(Invited Talk)を済ませれば,あとはもう気楽なものでescape しては町中をあちこち散歩した.主催者が用意してくれたホテルは釜山では一流のロッテホテルだった.繁華街の真っただ中にあるが,ちょっと脇道に入れば食べ物屋の屋台がずらりと並んでいた.
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日曜日の午後で,多くの人々が群がって,いろんなものをおいしそうに食べていた.不思議なことに若者,それもカップルが多く,老人や子供はほとんど見当たらなかった.彼らは楽しそうに話しながら腕を組んで歩いたり,食事をしていた.日本の若者よ,特に男性諸君,しっかりしなさいと活を入れたい気持ちになった.
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数年前に来た時にも同じ印象を持ったが,老人たちはどこにいるのだろうか.高層マンションの部屋に閉じこもっているのだろうかと思ったものである.若い女性にはほっそりとした色白の美人が非常に多かった.ただし,みな同じような顔つきでほとんど区別ができなかった.上記の李さんに聞いたのであるが,整形手術をしている女性が非常に多いとか.彼女たちが年をとったらどうなるのだろうかと要らぬ心配をした.ホテルの隣がロッテデパート,開店時には,びっくりしたことに,あの高らかなファンファーレが鳴り響くラデツキー行進曲の音楽とともにドアーが開き,日本と同じように店員が客にお辞儀をしていた.お土産でもと思って入ってみたが,品ぞろえは日本とほとんど同じ,なかなかお土産にしたいものがない.ようやく日本ではあまり見当たらない朝鮮人参入りのドリンク剤を見つけ早く元気になって欲しい妻への土産とした.
学会のバスツアーで,かってAPECが開かれた建物が記念館として残っているきれいな公園を訪れた.岬の突端にあって,晴れた日には対馬が見えるとか.ただし,晴れていれば必ず見えるわけではなく,気象条件が整ったときに見える,蜃気楼ではないかとのことである.
知り合いになった2人の韓国の若い大学の先生に有名な魚市場に案内され,ごちそうになった.ここでは,生きの良い魚の販売のほかに,簡易食堂があり,多くの人々が思い思いの魚料理を注文し食事を楽しんでいた.
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お二人とも東北大学での博士研究員経験があり,日本語と英語のちゃんぽんで韓国の大学の状況をいろいろ聞くことができた.韓国では英語が非常に重視されており,大学でも英語による講義が多くなっているという.教員の中には英語学習のために子供と奥さんを米国に滞在させる,いわゆる逆単身赴任が多いという.地名等の看板の表示はむろん,ハングルが主体であるが,これにローマ字表示,英語表現が加わり,場合によっては漢字が付け加わっている.韓国で生き抜き,上昇志向をかなえるためには誠に厳しいものがあると感じた.とりとめのないことをつづったが,この辺で終わる.