2020年3月 サピエンス日本上陸 3万年前の大航海

 最近,上記書籍を読み,久しぶりに夢中になり,興奮した.内容は,約3万8千年前の後期旧石器時代にどのようにして人類(我々の祖先)が日本にやってきたかを実証しようとする海部陽介氏(国立科学博物館)の長年にわたる研究の最新結果を述べたものである.
 我々現人類,“ホモ・サピエンス(新人)”はアフリカで30万〜50万年出現し,その後,世界に拡散したと言われている.この間,世界各地にいたジャワ原人,ルソン原人,ネアンデルタール人など多様な原人や旧人が次々いなくなり,地球上の人類は我々,現人類のみとなった.原人や旧人はアフリカとユーラシア大陸の中〜低緯度地域に分布していたが,ホモサピエンスはそれを大幅に超えて,寒冷地や海洋島にも進出し,やがて全世界に暮らすようになった.その過程はそれぞれ壮大な物語であるが,ここでは省き,わが国のことである.人類は大陸で生まれたが,ある時何故か海を渡り始める.その最古の段階の5万〜3万年前にさかのぼる証拠が,インドネシアから日本列島に集中していることがわかってきた.かって,日本列島に30万年前の前期旧石器時代人が住んでいたと言われたことがあったが,これは石器類の捏造であったことが判明している.日本列島にホモ・サピエンスが現れたのは3万8千年前頃で,土器を伴わない後期旧石器時代とよばれる時代のことである.日本列島各地から報告されたこの後期旧石器時代の遺跡数は1万150もあり,さらに興味深いことにその年代はすべて3万8千年前以降に集中しているという.このころを境に誰かが日本列島にやってきたのである.年代決定は石器類の最新の各種物理的測定法により確かであろう.そのルートは北方,中国大陸,台湾(琉球列島経由)方面からと言われている.当時は氷河期で海面が低下し,大陸と繋がっていたから徒歩でやってきたと言われたこともあったが,最近の地質学的研究によれば,大陸等とはつながっていなかったという.当時の海面は現在より,約80メートル低かったが,津軽海峡は最も浅いところでも140メートルで海 (北海道で見つかるケナガマンモスの化石は本州では見つかっていない),朝鮮・対馬海峡の水深は140メートルほどで当時も海峡だった.琉球列島の海峡の大部分は水深が200メートルと深い.陸橋がなかったことを示すわかりやすい証拠は動物である.九州にも台湾にもいるサル,シカ,クマなどが沖縄の島々にはいない.また,島には本島にいないヤンバルクイナイリオモテヤマネコなど島に固有の動物ばかりであり,長期間これらの島々は孤立していたのである.それではホモ・サピエンスは日本列島にどうやってきたか.“舟”である.しかし,舟の遺物は石器類と異なり残っていないが一つの証拠がある.本州各地で見つかる石英製の石器の原石は本州から50キロメートル離れた神津島産で,旧石器時代人は頻繁に本土と島間を行き来していたと考えられている.一方,琉球列島の石垣島からは旧石器人骨が大量に発掘されている.そこで,著者らは沖縄ルートの入口として台湾から最も近い与那国島(この間140キロメートル,お互い肉眼でかすかに見える)を目指す航路を選び,この旧石器時代人が台湾から船で渡ってきたことを実証しようとする壮大なプロジェクトを企画した.2013年から3年間の準備期間を経て,2016年4月に国立博物館の主催事業として正式に発足した.実験資金は1億円以上,これがすべて民間から,クラウドファウンデイング,企業と個人の寄付,台湾の博物館からの寄付で賄われた.科研費などの国の予算でなく,民間の寄付金というところが感動的である.ここ数年間の安倍首相とそれを取り巻く人々の言動には怒りを通り越し,悲しみさえ覚えるが,成功するか否かもわからないプロジェクトにロマンを感じ,多くの人たちが賛同した上記の行為に,未だ,未だ我が国は希望があると思えてくるのである.
 3万年前,どのような舟で渡ったのか.遺物は残っていない.航海再現のためにこれを推定するのが最大の課題だった.検討の結果,1) 技術的に縄文時代の丸木舟を超えない(遺物がある),2) 海で使われた例がある,3) 地元に適当な材料があって過去に作られた何かしらの痕跡があるという基準を満たす舟として,多くの候補の中から,草束舟,竹筏舟,丸木船のどれかだろうと推定した.そして実際にこれらの舟を,4) 3万年前の道具で作れること,5) 琉球の海で機能することを確かめ,合格した舟が3万年前の航海舟の最終候補として残り,その舟で台湾から与那国島を目指す実験航海に挑戦したのである.
 まず,草束舟である.材料は与那国島に自生する,丈2メートルほどのガマ科のヒメガマである.これを大量に刈り取り(旧石器や貝殻で草を刈り取れることを確認後鉄鎌使用) 乾燥後,ツル科のトウツルモドキ(長さ10メートルものツル)で縛って草束(直径30センチメートル)とし,これを100個以上束ねて草舟を作った.6メートル級のヒメガマ舟で5人乗せるに十分な浮力が得られた.より大きな7人乗りの舟で与那国島から西表島(この間75キロメートル)を目指してのテスト航海を実施した.3万年前にはない方位磁石,腕時計,GPSは持たず,目標の西表島が見えないときは風やうねりや星から進路を探る古代航法で挑む.推進具の櫂は縄文時代のものを参考にした.著者は伴走の動力船に乗船,いよいよという危険な場面以外は口出しをしない約束,漕ぎ手はいずれもシーカヤック等の経験のあるベテラン(女性も1人乗船)だったが,残念ながら,出発地から26キロメートル,出発後8時間で海流に流され,これ以上無理と判断し走行を断念した.
(以下次号)