2019年12月 ベルリンの壁の破片

2019年12月 ベルリンの壁の破片

 ベルリンの壁の崩壊から30年,その節目にあたる去る11月9日,ベルリンをはじめとするドイツ各地で記念式典が行われたと報じられた.
 ところで私の手元に,このベルリンの壁の破片がある.12センチメートル×6センチメートルくらいの薄いコンクリートの破片で一部に橙色のペンキが付着している.これに私の手で1990年3月,T君よりと記入してある.当時,大学教師だった私の研究室のT君から「先生,お土産です」と言ってヨーロッパの一人旅から戻った時もらったのである.

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  私は未だ,東西の緊張が高く,この壁が存在していたころ,西ドイツのファルタという大きな電池メーカーを訪問したことがある.向こうの技術者にフランクフルト市内を案内された時,一般道路をNATO軍の兵士を乗せた大型戦車が隊列を組み通過していったのに遭遇した.日本は当時,平和を謳歌していたのに,ここは未だ戦場なんだと恐怖感を味わったことを思いだす.東西ドイツがこの壁で仕切られていた時,どれほどけ多くの東ドイツの人々が今はないこの壁を超えようと血や涙を流したことだろう.破片は軽いが重い歴史を感じる.
 当時は多くの学生諸君がアルバイト代でためた貯金や親に借金をして海外旅行に精を出した.今はどうか.未だ現役のかっての同僚に尋ねると「今の学生諸君は外に出たがらない」と嘆いていた.
 こんなこともあった.ある年,9月になっても出てこない学生がいた.当時,授業が始まるのは9月中旬からだったが,私の研究室では8月末までを夏休みとしていた.どうしたのかな,実家に連絡でもしようかと思っていたところ,海外電話だったか,ファックスだったかは忘れたが,「今,フィリッピンにいます.帰国はあと数日後になります」との知らせが入った.ようやく帰国した彼の話で事情が分かった.バスで市内観光した際,隣り合わせたおばさんたちと意気投合し,バスを降りた際,コンパをしようということになったのだそうな.近くの食堂で乾杯,わいわい騒いでいるうちに眠ってしまったとか.翌朝,目覚めたら,財布,パスポートが無くなっていた.店ともグルの計画的なもので,眠り薬を飲まされたらしいと言っていた.早速,大使館に行き,事情を話したが,パスポートの再発行まで一週間かかったので帰国が遅れたのである.命に別条がなくてよかった.
未だ自由になる時間をたっぷり持っている学生諸君に強く希望したい.どうか世界に向かって飛び出してほしい.海外留学でも,短期間の旅行でも良い.ただし,あらかじめ用意されたツアーではなく,自分でルートを計画するのである.それはお金では替えられない,貴重な経験で一生の宝となろう.戦争は相互の不振から始まる.異国の理解は若い諸君でなければできないと思うのである.