2018年11月 錆(さび)の話

201811月 錆(さび)の話
 
 最近,ジョナサン・ウオルドマン著「錆と人間」((築地書館) を読んだ.そこには自由の女神像の腐食防食対策の歴史,缶詰の科学,パイプラインと錆・錆探知ロボット,錆びない鉄・ステンレスの発明等々,人間と錆との壮大な戦いの物語が述べられており,非常に面白かった.私自身, 40-50年前の会社時代にいくつかの腐食評価,防食対策技術の開発に携わった経験があるからかもしれない.興味のある方はぜひ一読されることをお勧めする.中でも圧倒されたのは缶詰の科学・錆と環境ホルモンの章だった.缶詰缶の内壁は適切な防食処理をされないと内容物により缶の金属材料が腐食しガスが発生する.内圧が高まり密封缶が耐え切れなくなると破裂事故が起こるのである.
会社時代,ある清涼飲料水メーカーから缶材料として使用されるアルミニウム,鉄,その他各種金属材料の各種ジュース,コーラ,サイダー等に対する耐食性評価の依頼があった.これら各液体中に種々の金属を浸漬させ,一定時間ごとに各金属試料の重量をはかり,減量度合いからその腐食速度を求めるのである.最も腐食性の激しかったのはコーラ類であった.例えば,10円硬貨をコーラ中に浸し,数分後に引き上げると硬貨の表面はピカピカに輝き,今作られたばかりの未使用の硬貨のようになった.コーラが表面の錆等を溶かし去るのである.その腐食性の激しさに驚いたものである.
このような缶内壁の腐食を防ぐために缶メーカーは長年にわたり非常な努力を重ねてきた.同書によれば,現在は主にエポキシ樹脂による内面塗装によって缶内側の腐食は抑制されている.エポキシ樹脂は安価でスプレー可能で硬化性があり,強靭,かつ柔軟で耐薬品性に優れている.ただし,エポキシコーテイングにはこれを硬化させるために架橋剤が必要で,最も頑強なエポキシコーテインに適しているのはビスフェノールA(BPA)で,いわゆる環境ホルモンである.食品安全性に関する法律により,その溶出量等は厳格に規制されているとのことであるが,長い貯蔵期間,内容物の種類により異なろうが,BPAはフィルムから溶出する.これが微量とはいえ体内に入るのである.その影響力については同書に詳しく述べられているが,ここでは省略する.個人差もあり,どこまでが安全かの線引きはむずかしいようである.なるべく缶ビールや缶詰類は新鮮なものを購入し,短い期間に使い切るのが肝要のようである.
金属の腐食による人命の損失とともに,経済的損失は莫大な金額で,わが国では年間数兆円に及ぶ.過日も台風で灯台が崩壊した.基盤を支える鉄が腐食したためである.腐食による経済的損失,すなわち腐食コストは,腐食事故によって生ずる損失額と腐食事故を防止するために要する腐食対策費の合計と定義され,両者はトレードオフの関係にある.すなわち,防食対策費を減らせば損失額が増え,対策費を増やせば損失額は減少する.損失額は直接損失(腐食損傷した部材等の交換修理に要する費用)と間接損失(腐食がもとで生産ラインが停止する損失)から成る.少し古いデータであるが,1997年の防食対策費は約3.9兆円でGDP0.77 %(GDP: 500兆円)である1). 高度成長期に建設された各種のインフラ,例えば高速道路,橋梁,下水道システム,高層ビル等が数十年を経過し,これらを支える鉄筋材料の腐食がかなり進んでいることであろう.大事故が発生しないうちに適切に修理,更新,改築等がなされることを強く期待したい.