2018年10月 俳句

201810月 俳句
 
 定年退職後,いつの間にやら9年目も半ばを過ぎてしまった.最近は外出の機会も減り,散歩だけでは呆けてしまう,何か集中できるものがないかと暗中模索していたが,ふと思いつき7月ころから俳句を作り始めた.
以下に駄句をいくつか列挙する.
  夏空やビル影探し道選ぶ
  夏痩せも死語となりたり昨今の我
  クマゼミの声姦しし朝六時
  八月はさびしき月ぞ西瓜食ふ
    救急車炎暑の中を走り去る
  故郷の祭り見知らぬ人ばかり
  彼岸花炎暑の日々も彼方なり
  麗人の衿に付けたる赤い羽根
切りがないからこの辺でやめる.五七五の十七文字に季語を入れれば俳句らしきものはできるが,これでは自己満足の独りよがり,他の人に受け入れられるのだろうかと恐る恐る朝日新聞の俳壇に投句したところ,上記4句目(*印) 長谷川櫂(かい)選に入った.うれしかった.ビギナーズラックである.以後は連戦連敗である.選者は4人,一人で10句が選ばれる.2人からダブって同一句が選に入ることはほとんどない.毎週(日曜日に掲載) 選に入る人がいるのだろうかと1ヵ月(4) にわたり統計を取ってみたところ,複数の句が採択された人は8人,残り150数人の人は1句のみである.私にとっては非常に高い壁であり,論文を受理されること(ネイチャーは別として)科研費が採択されることよりはるかに困難である.選者は何万,何十万句に接しておられようから,それらの人におや?,新鮮だと思わせることは並大抵ではないのである.初めて数か月の身で述べるのは僭越であるが,気づいたことは研究も俳句も素材(テーマ,目的) 次第であるということである.誰も気づいていない良いテーマが見つかればどちらも6070 %完成したようなものである.しかし,俳句の季語はもう江戸時代から数えきれないほど多くの人に読まれているから,これのみでは新しみがない.その季語にふさわしい,未だ読まれたことのない情景,想いに気づき,これと季語とが呼応した時多くの人々に共感,感動を呼び起こす名句が生まれるのであろう.一見,季語とは関係のなさそうな,しかしどこかで結びつきそうな壮大な風景,状況が思い浮かべばしめたものである.少し古いが,名句と言われる下記の句のように.
 降る雪や明治は遠くなりにけり  中村草田男
 投句のみでは上達がおぼつかないので,10月から神奈川大学が主催する
市民講座のひとつである,入門俳句実践講座の受講を始めた.講師は著名な国文学者の復本一郎先生(本学名誉教授),受講者は25名である.自己紹介で分かったのであるが,新人は私一人,他はすべて1年以上,中には7年間も受講しているベテランばかりである.1回おきに3句作成の宿題が課せられ,次の回では集まったそれらの句の互選による評価,先生の選が加わる.ここでしごかれ,少しでも上達したいと願っている.せいぜい長生きし,句集の一つでも編みたいものである.私の当面の目標である.