2018年8月 七夕飾り

20188月 七夕飾り
 
 去る7月初旬,妻を通して聞いた高校生の孫娘の話である.クラスで七夕飾りを作ろうということになったら担任の先生が花屋さんからポケットマネーで笹竹を購入してくれた.5000円もしたとか.ふとこれを思い出し,ちょうど土曜日だった7日に厚木の自宅に行き,近くの竹藪から長さ70 cmくらいの竹の枝を失敬して来た.これに何十年ぶりかで短冊をつるし,七夕飾りとした.小学生の頃は毎年,クラスで七夕飾りを作った記憶がある.朝,畑から里芋の葉に溜まったコロコロ転がる朝露を集め,これで墨を摺って何事かを色紙に書いた.どんなことを書いたかは全く覚えていない.多分,“世界平和”,“戦争反対”などと書いたのではないか.まだ,戦後間もないころで,反戦気分が世の中に漂い,そのような教育もなされていたような気がする.「僕だってわかる守る新憲法」こんな標語が階段の登り口の柱に貼ってあった記憶がある.
  今回は横着をして,水性ボールペンで文句を書いた.赤系統の色紙(いろがみ)を縦長に半分に切り,一人3枚ずつ,妻とそれぞれ勝手なことを書いた.私のは「家族一同健康でありますように」,「米寿をめざして」,「いつまでもお酒がおいしく飲めますように」とかなり虫の良い願いである.「世界中の紛争がなくなりますように」とか「再生エネルギー使用率を増やし地球温暖化を阻止しよう」等もっと高尚な文言を書けばと良かった反省したが後の祭りである.妻のは最初の「孫たちが順風満帆でありますように」はまあ良いとして「この辺がきれいになりますように」(自分がいろんなものを置き,片付けないためである),「お金ががっぽり入りますように」とまあ都合の良い願い事である.最後のには思わず笑ってしまった.宝くじも買っていないのに.
不思議なことに私の3番目の願いが通じたのかどうかわからないが,それから数日間のうちに3本の日本酒が届いた.まず,妻の小,中,高と同級生だったSさんからである.彼女は石巻在住,3.11の大震災で家がすっかり流されてしまった.妻がささやかなお見舞いを送ったところ,あの時はとてもうれしかったと,その後,時々季節のものを送ってくださるのである.6月下旬,おいしい魚の粕漬が届いた.妻がお返しにお孫さんにと越後の米菓を送った.お孫さんがとても喜んでうれしかったとまた,今度はSさんとお孫さんの名前で日本酒が送られてきたのである.彼女は石巻の酒屋に嫁いだから,震災を機に店はたたんでしまったが,この方面には詳しい.「ちょっと手に入りにくい銘柄です.ご主人に味わってもらってください」とメモ書きが入っていた.
 次は中学時代の同期性のH君からである.彼は故郷の小千谷に在住,同期生のまとめ役として長年お世話になっている.去る5月,私たち同期生は湯沢温泉に旅行に行った.今回は関東在住組が幹事ということで私が音頭を取ったが,「ご苦労様でした」とのお礼を込めて送ってきたのである.卒業時は150名位の同期生だったが,住所の判明しているのはちょうど100名である.案内状を出したところ,宛先不明者2名,なんと83名から返信があった.旅行参加者は43名だった.不参加者の返信ハガキにも病気その他で参加できないのが非常に残念などと近況が綴られていた.参加者が多かったこともうれしかったが,83名もの同期生が応答してくれたことをとてもうれしく思った.毎年,この旅行会では,過去1年間に亡くなった人たちの黙とうを行ってから宴が始まる.残念ながら,この1年間に6名が亡くなった.男子5名,女子1名である.来年の旅行は地元の小千谷で頑張っている人たちが幹事である.
 最後の1本は去る7月,79歳になった私の誕生祝いにと娘が贈ってくれた.
「近所のデパートの酒売り場で買ったちょっといいのよ」とのだめ押し付きで.